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連載
「新 戦国太平記 信玄」
第二章 敢為果断(かんいかだん)8 海道龍一朗 Ryuichiro Kaitou

「板垣、何やら騒がしいようだがいかがいたした?」
「……ええ……山から飢えた猪(しし)の親子が下りてきたらしく、屋敷に入りそうになったので追い払ったところにござりまする」
「山から猪の親子?」
「あ、はい……。信房が見つけまして、事なきを得ましたが……」
「さようか。人の声が響いたので、御方が眼を覚ましてしまい、この身が様子を見に来た」
「申し訳ござりませぬ。猪が走り廻ったので、つい声を……」
「仕留めたのか?」
「いいえ、棒を使い、山へ追い返しました」
「それはよかった。屋敷での無益な殺生は、縁起が悪い。悪天候による不作続きで、猪でさえも喰べる物がないということか。人里まで下りてくるとは、よほど腹が空いていたのだな」
「……はい、おそらく。若、もう大丈夫ゆえ、どうかお休みくださりませ」
 信方が何とか取り繕う。
「わかった。御方にも伝え、安心させておく」
 大きく伸びをしてから、晴信は再び閨(ねや)に戻った。
 それを見届けた三人が安堵(あんど)の息をついた。
「大井の御方様にも執りなしをお願いし、とにかく御屋形様への御機嫌伺いを済ませておきましょう」
「お願いいたしまする」
「それまでは普段通りに」
「……わかりました」
「それがしは戻りまする。信房、頼んだぞ」
「はっ!」
 教来石信房と常磐は持場に戻り、信方は己の屋敷へ帰った。
 翌日、荻原虎重をつかまえ、それとなく信虎の様子を確かめる。
 近習頭の話によれば、主君は寝所で酒を呑み直した後、すぐに寝てしまったという。午後に目覚めたが、晴信の屋敷に行ったことさえ覚えていないらしい。 
 そこで信方は改めて伺候の話を申し入れる。
「御屋形様の訓について、三条の御方様もお気になさっておるようなので、何とか御家族の団欒という形で御機嫌伺いができぬだろうか」
「御機嫌の麗しい時に、それとなくお訊ねしてみますが……確約はできませぬぞ、駿河殿」
 荻原虎重が顔をしかめながら答える。 
「それで構わぬから、よろしくお頼み申す」
「わかりました」
 虎重が少し言いにくそうに切り出す。
「……時に、駿河殿。備前(びぜん)殿とは、何かお話をなされておりまするか?」
 次郎の傅役である甘利(あまり)虎泰(とらやす)のことについて訊ねてきた。



 
〈プロフィール〉
海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう)
1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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