「板垣殿、折り入ってお話が」 常磐が二人だけの面談を申し入れる。 「何であろうか?」 「ここでは申し上げにくいので、わたくしの室へ」 「いや、それはいかがなものかと……」 信方は困ったように頭を搔く。 「お願いいたしまする」 有無を言わせぬ視線を送り、常磐が促す。 「はあ、では……」 常磐の室に入った二人は密談を始める。 「実は、御方様に異変が」 「どうなされたのか?」 「徒ならずの御様子かと」 その言葉を聞き、信方は一瞬、意味を把握できなかった。 「ただならず?……それは、ええと……つまり……」 「おめでたのことにござりまする」 常磐が声をひそめて言う。 「徒ならず」は通常「曰(いわ)くありげ」とか「並々ではない」という意味として使われるが、平家物語に「ただならずなりたることをも、日ごろは隠して言はざりしかども」という文言があるように「懐妊している様子になったことも、平素は隠して言わなかったが」というような使い方もされる。 徒ならずの御様子とは、「御懐妊」の婉曲(えんきょく)な言い回しだった。 「御懐妊にござるか!?」 信方は思わず腰を浮かす。 婚儀を終えてから、わずか四ヶ月半にしての朗報だった。 「われらから拝見して、おそらく間違いないかと。御方様のつわりが始まっておりまする」 「まことならば、これ以上の話はない! 若にはお伝えしたのであろうか?」 「いいえ、まだにござりまする。わたくしからお伝えすることでもないと思い、まずは板垣殿にご相談をと思いまして」 「おお、そうであったか。されど、それがしの口からというのもなぁ……」 「やはり、御方様からお伝えしていただくのがよろしいかと」 「確かに」 「今が三ヶ月過ぎと考えれば、これから大事な月へ入りますゆえ、お二人の暮らしも少し変えていただかねばなりませぬ。それを板垣殿や近習の方々にもご理解していただきたいと」 「相わかった。何よりも三条の御方様とややこの安全が大事ゆえ、側の者にも心しておくよう伝えておく」 「お願いいたしまする。おそらく、ご出産は年明けの早々ではないかと」 「そうかぁ……。若に御子がな……。男の子だといいのだがな^……」 信方は微(かす)かに瞳を潤ませて呟く。 「では、今宵、御方様から晴信様へ伝えていただきまする」 「ああ、よろしく頼む」 まるでわが孫ができたような信方の喜びようだった。 周囲の温かい見守りもあり、慶子は無事に身籠もり、出産に向けての暮らしが始まる。冬に入ると懐妊の件は家中でもつまびらかにされ、慶事を迎える気分が高まった。 年が明けて天文(てんぶん)七年(一五三八)となり、暦が正月の終わりを告げる頃、慶子は珠(たま)の如き男子を産んだ。その子は晴信の幼名にちなみ、太郎と名付けられる。 武田家は続く慶事に湧いていた。