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連載
「新 戦国太平記 信玄」
第二章 敢為果断(かんいかだん)8 海道龍一朗 Ryuichiro Kaitou

「板垣殿、折り入ってお話が」
 常磐が二人だけの面談を申し入れる。
「何であろうか?」
「ここでは申し上げにくいので、わたくしの室へ」
「いや、それはいかがなものかと……」
 信方は困ったように頭を搔く。
「お願いいたしまする」
 有無を言わせぬ視線を送り、常磐が促す。
「はあ、では……」
 常磐の室に入った二人は密談を始める。
「実は、御方様に異変が」
「どうなされたのか?」
「徒ならずの御様子かと」
 その言葉を聞き、信方は一瞬、意味を把握できなかった。
「ただならず?……それは、ええと……つまり……」
「おめでたのことにござりまする」
 常磐が声をひそめて言う。
「徒ならず」は通常「曰(いわ)くありげ」とか「並々ではない」という意味として使われるが、平家物語に「ただならずなりたることをも、日ごろは隠して言はざりしかども」という文言があるように「懐妊している様子になったことも、平素は隠して言わなかったが」というような使い方もされる。
 徒ならずの御様子とは、「御懐妊」の婉曲(えんきょく)な言い回しだった。
「御懐妊にござるか!?」
 信方は思わず腰を浮かす。
 婚儀を終えてから、わずか四ヶ月半にしての朗報だった。
「われらから拝見して、おそらく間違いないかと。御方様のつわりが始まっておりまする」
「まことならば、これ以上の話はない! 若にはお伝えしたのであろうか?」
「いいえ、まだにござりまする。わたくしからお伝えすることでもないと思い、まずは板垣殿にご相談をと思いまして」
「おお、そうであったか。されど、それがしの口からというのもなぁ……」
「やはり、御方様からお伝えしていただくのがよろしいかと」
「確かに」
「今が三ヶ月過ぎと考えれば、これから大事な月へ入りますゆえ、お二人の暮らしも少し変えていただかねばなりませぬ。それを板垣殿や近習の方々にもご理解していただきたいと」
「相わかった。何よりも三条の御方様とややこの安全が大事ゆえ、側の者にも心しておくよう伝えておく」
「お願いいたしまする。おそらく、ご出産は年明けの早々ではないかと」
「そうかぁ……。若に御子がな……。男の子だといいのだがな^……」
 信方は微(かす)かに瞳を潤ませて呟く。
「では、今宵、御方様から晴信様へ伝えていただきまする」
「ああ、よろしく頼む」
 まるでわが孫ができたような信方の喜びようだった。
 周囲の温かい見守りもあり、慶子は無事に身籠もり、出産に向けての暮らしが始まる。冬に入ると懐妊の件は家中でもつまびらかにされ、慶事を迎える気分が高まった。
 年が明けて天文(てんぶん)七年(一五三八)となり、暦が正月の終わりを告げる頃、慶子は珠(たま)の如き男子を産んだ。その子は晴信の幼名にちなみ、太郎と名付けられる。
 武田家は続く慶事に湧いていた。



 
〈プロフィール〉
海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう)
1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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