連載
「新 戦国太平記 信玄」
第二章 敢為果断(かんいかだん)20 海道龍一朗 Ryuichiro Kaitou

「怨嗟や憎悪にかられ、己の立場を守るためだけに動き始めた者どもを、決して正論だけで引かせることはできませぬ。つまり、われらが止めねばならぬのは、理の通じぬ相手だということにござりまする。しかも、事態はすでに焦眉(しょうび)の急を告げており、武川衆がおいそれと元の鞘(さや)に収まるとは思えませぬ。それゆえ、われらが間に入ろうとするならば、三つ巴(どもえ)の戦いにもなりかねず、相応の覚悟が必要となりまする。和によって双方を救うという考えを捨て、争乱が領内に広がらぬ方策だけを考えた方がよいのではありませぬか?」
 いつになく手厳しい傅役の問いかけに、晴信は返答の言葉を失う。
「われらが衆を頼んで相対するにしても、その数はたかが知れており、双方を相手に戦うことはできませぬ。どうあれ、力尽くでの局面は必ず出てきまする。ならば、武川衆を元の鞘に戻すことは諦め、どちらか制しやすい側を止めると割り切った方がよくはありませぬか」
「……そうかもしれぬが……」
 晴信はまだ煮え切らない。
 確かに傅役の意見は的を射ていたが、まだ自ら双方を説得して止められるかもしれないという考えを捨てきれずにいたからである。
「若、もしも力尽くで制せねばならなくなったとしたら、どちらを相手にすべきとお考えになりまするか?」
 信方が畳みかける。
 ─この問いかけですら、まだ序の口に過ぎぬ。若にとっては、もっと苛酷な決断を下さなければならない問題が後に残っている。ここで逡巡(しゅんじゅん)させてはいけない。
「力尽く……。戦いも辞さぬという構えを取らねばならぬということか」
「はい。さようにござりまする」
「……どちらかを力尽くで制せねばならない……」
「それがしの意見は決まっておりまする。おそらく、今ならば土屋殿の一派の方が制しやすかろうと」
「な、なにゆえか?」
「青木殿の一派は背水の陣を布き、一歩も引かぬ覚悟で事に当たろうとしておりまする。曲がりなりにも理を固め、己が行動を正当に見せかける手を打ち、賛同する者を増やし続けているかと。方や、土屋殿の一派は下の者から相手に切り崩され、留守を預かるのが飯田(いいだ)虎春(とらはる)となれば、その結束もたかがしれておりましょう。力と力でぶつかっても、かの者が頭ならば、さして怖くはありませぬ。それゆえ、それがしは迷わず飯田虎春の率いる土屋一派を相手に選んで潰しまする」
 信方はこともなげに語ってから訊く。
「やはり、卑怯な考え方と思われまするか?」
「……いや。……卑怯とまでは思わぬが……」
「卑怯とまでは言わぬでも、相手の弱味につけ込んだ策に変わりはありませぬ」
 信方は話を続ける。
「されど、問題はまた別のところにありまする。われらが力尽くで飯田虎春を制し、武川衆の争いを止めたとしても、青木殿が御屋形様への直訴を諦めてくれるかどうかはわかりませぬ。よしんば、何とか説得したとしても、果たして御屋形様はそれを誉めてくださるでありましょうや?」
 信方は諦めの笑みを浮かべながら言葉を続ける。



 
〈プロフィール〉
海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう)
1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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