連載
「新 戦国太平記 信玄」
第二章 敢為果断(かんいかだん)20 海道龍一朗 Ryuichiro Kaitou

「ここまで話が至りましたゆえ、この板垣も取り繕いは申しませぬ。御屋形様は若を嫌うておられるのではありませぬ。若を怖れておられるのでありましょう」
 その答えに、晴信は微(かす)かに眉をひそめ、小首を傾げた。
 信方はかまわず言葉を続ける。
「それがしから見ても、若と御屋形様は正反対の御気性にござりまする。たとえば、直感と感情の赴くままに行動なされる御屋形様に対し、若は常に熟考を重ね、理詰めで動かれまする。御屋形様はひとつの物事に対する集中と執着には眼を見張るものがおありになりますが、若はなるべく我執を排し、物事を広く視野に収めようといたしまする。おそらく、御屋形様のような御気性からすれば、若は己が持っていない資質ばかりを有し、脅威に映るのではありませぬか。幼い頃には、ただ物怖じするとか、歯痒(はがゆ)いとしか見えぬ相手が、いつの間にか己を凌駕(りょうが)しそうな資質を開花させようとしたならば、やはり人は怖れるのではありませぬか。それが人の上に立たねばならぬ御方ならば、なおさら。御屋形様は若の御初陣を目の当たりにし、はっきりと恐れを抱かれたのだと思いまする」
 明言する傅役に、晴信は驚きを隠せない。
「……されど、それは……そなただけの」
「それがしだけの贔屓目(ひいきめ)ではありませぬ。岐秀(ぎしゅう)禅師も、原加賀守(はらかがのかみ)も、甘利(あまり)や飯富(おぶ)も同じことを申しておりまする。そして、御屋形様の公言を内密に伝えてきた今川家でさえも、そのように申し、盟友として若の御相続を望んでいると。おそらく、わかっておらぬのは、御屋形様の御言葉を盲信する一部の重臣たちだけにござりまする。いや、うすうす感づいているから、ことさら信繁(のぶしげ)様の擁立などを口にしているのかもしれませぬ。されど、ご心配召されますな。今ならば、驚くほどの者が若のために集まってくれまする。もしも、若が甲斐一国の立て直しのために立ち上がり、武田一統の行末を引き受けてくださるのならば」
 信方は厳しい面持ちで言い切った。
「まことか……板垣」
「まことにござりまする。ただし、そのためには、若にも最大の試練を乗り越えていただかねばなりませぬ。すなわち、それは御屋形様の理不尽を乗り越えていただくということにござりまする」
「……父上の理不尽を……乗り越える……」
 そう呟き、晴信はしばし黙り込む。
 やがて、その右眼から止め切れなかった一筋の泪(なみだ)がこぼれ落ちる。
「つまり、こたびのことは父上と対峙せねば、解決せぬということなのだな」
 右手で頰を拭いながら、晴信ははっきりした口調で言う。
「さようにござりまする」
 信方も大きく頷(うなず)いた。
「立つためには、どうすればよい?」
「それについては原加賀守といくつかの策を練っておりまする。それを聞いていただけまするか」
「わかった」
「では、お話しいたしまする。多少の無礼はあるかと思いますが、ご容赦くださりませ」
 信方は原昌俊(まさとし)と練った策の詳細を晴信に伝える。
 それを聞き終え、内容を反芻(はんすう)するようにしばらく黙っていた。



 
〈プロフィール〉
海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう)
1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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