よみもの・連載

信玄

第三章 出師挫折(すいしざせつ)21

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

「この件は若が思われている以上に家中の大事ゆえ、そうもまいりませぬ。そこで口の堅い者だけを集めました」
「……加賀守は何と申しておった?」
 晴信は探るような眼付きで訊く。
「何も」
「何も?」
「はい。いつものように眉ひとつ動かさずに黙って話を聞いておりました。あ奴はこれしきのことで気を昂(たか)ぶらせたりする漢(おとこ)ではありませぬ。ただし、新府での評定の最中に、若が気もそぞろであったことはわかっていたようにござりまする」
「あ、ああ……。さようか……」
「これから皆で話し合ったことをそのまま若へお伝えしとうござりますが、お許しいただけまするか?」
「わかった。心して聞こう」
「有り難き仕合わせ」
 信方は原(はら)昌俊らと話し合った内容を晴信に伝え始める。
 あえて省略などをせず、話が進んだ通りに詳細を再現していく。
 晴信は真剣な面持ちで聞き入っていたが、菅助(かんすけ)の策に話が及ぶと次第に苦々しい表情になってくる。
 その変化を見逃してはいなかったが、あえて信方はありのままに伝えた。
 すべての話を聞き終え、晴信は複雑な表情で訊く。
「……つまり、そなたらの結論は、あの娘を禰津(ねづ)家の養子にし、余の側に置けということか?……皆を謀(たばか)ってか?」
「それは違いまする。われらが考えたのは、もしも若がどうしてもあの娘を諦めることができぬと申された時の対処にござりまする。皆を謀(たばか)って側室にするということを前提に考えたわけではありませぬ。そう思われたならば、本末転倒にござりまする。若のお気持ちを殺さずに済ますためにはどうしたらよいか、それだけを考えて捻(ひね)り出した苦肉の策だと、ご理解いただけませぬか」
「……ああ、すまぬ。余を憐(あわ)れに思い、そなたらが同情したのではないかと、穿(うが)った見方をしてしまった」
「若、ここからは肚を割って本音で話しませぬか。まずは、あの娘に対する率直なお気持ちをお訊きしとうござりまする」
 信方の言葉を聞き、晴信は詰めていた息を長く吐いた。
 まるで胸の裡(うち)にくぐもる己の懊悩(おうのう)を吐き出すような仕草だった。
「本音を申すならば……この想いを捨て去ることは難しい。考えはじめると止(とど)めがなくなるゆえ、とにかく他のことに没頭するしかないのだ。それでも、己の感情に蓋をするのが苦しい……」
 俯(うつむ)き加減で、晴信は心情を吐露する。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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