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連載
「新 戦国太平記 信玄」
第一章 初陣立志15 海道龍一朗 Ryuichiro Kaitou

「……それは……武士の情けで……自害させてくれと嘆願され……その……」
 晴信(はるのぶ)は朱塗りの大盃が転がった床を見つめ、しどろもどろになった。
「御屋形(おやかた)様、平賀はそれがしが斬りました!」
 信方(のぶかた)が身を乗り出して言葉を続ける。
「城から引き立てようとしましたならば、足軽の得物(えもの)を奪って暴れ始めましたゆえ、やむなく始末いたしました。首級(しるし)は雪と一緒に桶へ詰め、大事に取ってありますゆえ、どうか御実検をお願いいたしまする。その上で必要とあらば、それがしが平賀の首級を持ち、村上との交渉に出向く所存にござりまする」
 信方は主君の矛先を晴信から己に向けさせるため、偽りを口にしてまで、あえて憎まれ役を買って出たのである。
 しかし、主君はそれを一笑に付す。
「ふっ、聞き捨てならぬな、信方。平賀を討ち取ったのは、うぬではあるまい!」
「えっ……」
「鬼美濃(おにみの)が槍の一撃で仕留めたと聞いたぞ!」
「……誰が……さようなことを」
「信秋(のぶあき)からの遣いが参り、すでに詳しい報告を受けておる。情けをかけて平賀に鎧通(よろいどお)しを渡した途端、己の首を貫かず、勝千代に突きかかったというではないか。それを鬼美濃が容赦なく突き倒したのであろう。違うか?」
「……仰せの通りに……ござりまする」
「ふん、信方。うぬも存外、あざといのう。後輩の手柄まで、まんまと己が挙げた如く語るか」
「さ、さようなつもりは、毛頭なく……」
 信方は慌てて取り繕う。
 もちろん、原(はら)虎胤(とらたね)の手柄を奪う気などなく、晴信を救うための方便に過ぎなかったのだが、事情を知らない重臣たちは主君の言うことを鵜呑みにしてしまうはずだ。
 ――伊賀守(いがのかみ)の奴め、余計なことをしおって……。最初から、御屋形様と若を両天秤にかけるつもりでいたのか!?
 信方は苦い表情で黙り込む。
「いずれにせよ、平賀の首を奪ったことが手柄にならぬことは、さきほど申した通りだ。はぁ、まったく余計な真似をしてくれたものだ」
 信虎は忌々しそうに溜息をつく。
「甲斐の武田が本気で動けば、万にも及ぶ兵が城を囲む。こたびはそのことを村上や海野をはじめとする信濃の者どもに思い知らせればよいだけの出陣であった。村上が尻尾を振ってくれば、それでよし。逆に、海野棟綱が佐久や小県の割譲を条件に、援軍を乞うてくれば、それでもよし。小城ひとつ落としたとて、割には合わぬ。なにゆえ、その真意が読めぬか。運のない将のせいで天気は荒れ放題、挙句の果てに肝心の質は首だけになっておる。いったい、どれだけ悪手を重ねれば、ここまで事がややこしくなるというのか! ああ、疎(うと)ましいわ!」 
 投げ捨てた盃が、乾いた音を立てながら転がった。
 それを眼で追いながら、晴信はうなだれる。



 
〈プロフィール〉
海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう)
1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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