ふらつきながら大広間を去る主君を、心配そうに近習頭(きんじゅうがしら)の荻原虎重が追った。 残った重臣たちは一様に眉をひそめて黙り込んでいる。 そんな中で、荻原昌勝だけが仕方なさそうに口を開く。 「昌俊、本気であのような後始末をするつもりなのか?」 「まことにござりまする。戦をしたからには、何かしらの利得を持ち帰らねば陣馬奉行の役目を果たしたことになりませぬ。先ほどの案を実行すれば、常陸守(ひたちのかみ)殿がご心配になっていた、こたびの戦の勘定は合いまする。それでは不服にござりまするか?」 「……別に不服ではない」 「それは、ようござりました。こたびは勝ち戦と御屋形様もお認めになられました。われらの将兵も長きにわたる滞陣でだいぶ疲弊しておりまする。徴発を受けた甲斐の民たちとて同様。ここはひとつ、われらの勝利ということで手仕舞いしませぬか。若君様の御初陣も滞りなく終わり、必要以上に家中で事を荒立てることもありますまい。戦勝として粛々(しゅくしゅく)と後始末を進めるのが肝要かと」 原昌俊は相変わらず柔和な微笑を絶やさない。 しかし、その両眼には強い意志の光が宿っていた。 「……わかった。後のことは、そなたに任せる」 荻原昌勝は苦々しい面持ちで答える。 己の手下だと思っていた原昌俊が、意外な行動に出たと思っていた。だが、その捌(さば)き方は理に適(かな)っている。何よりも先の見えない戦が思った以上に長く続き、己の老体に深刻な影響をもたらしていた。 「常陸殿! まことに、それで……」 飯田(いいだ)虎春(とらはる)の不服そうな声を、老家宰が遮る。 「黙っておれ、虎春! 戦は、もう仕舞なのだ」 「……はぁ」 「では、若君様。後の事は昌俊に任せますゆえ、よしなに。お先に失礼いたしまする」 家宰の荻原昌勝はそそくさと大広間を去った。 それに合わせ、他の重臣たちも評定の場を後にした。 結局、晴信と信方、後始末を申し出た原昌俊の三人だけが残る。 「昌俊、かたじけなし。助かった……」 信方が原昌俊に駆け寄り、両手を取った。 「……何だ、急に」 相手の両手を振り払い、昌俊が照れくさそうに笑う。 「それがしは陣馬奉行としての役目を果たそうとしただけだ。若君様が御初陣と殿軍の役目を全うなされたようにな」 「ああ、さようか。それでも、そなたの執り成しは有り難かった」 信方は感激した面持ちで昌俊の両肩を摑む。 「相変わらず暑苦しい奴だ」 原昌俊は困り果てたように笑う。 晴信は羨ましそうにその二人を見ていた。