連載
「新 戦国太平記 信玄」
第二章 敢為果断(かんいかだん) 海道龍一朗 Ryuichiro Kaitou

「晴信、そなたには周囲に対する目配りと細かい気遣いがあり、他の方には見えていない事柄が見えているのではありませぬか。何よりも思慮深く、物事に対して冷静に対処でき、家臣の方々もそのことをわかり始めていると思います」
「姉上……」
「父上様は御気性の激しい方ゆえ、そなたに武田家の嫡男としての比類なき強さをお求めになり、誰よりも厳しく接しておられるのでありましょう。されど、そなたには強さだけでない別の素養があるのだと、必ずわかってくださりまする。その日が来るまで辛抱を忘れずにいれば、きっと報われまする」
「……肝に銘じ、精進いたしまする」
「それと、もうひとつだけ。次郎と孫六をお願いします。何があろうとも、決して仲違(なかたが)いなどせず、力を合わせて母上様を守ってくだされ。わたくしは武田家と今川家が誼(よしみ)を通じるための鎹(かすがい)として陰からお支えいたしまする」
「わかりました。姉上、くれぐれも息災で」
「重ねて、ありがとう、晴信」
 二人は残りわずかな別れの時を惜しんだ。
 輿の先には、花嫁を迎えに出てきた今川勢の姿があった。
 その先頭に見覚えのある顔を見つけ、信方は今川方の武将に歩み寄る。
「やはり、そなたが警固の任につかれておりましたか、板垣駿河守殿」
 歓迎の笑みを浮かべ、太原雪斎が近づく。
 剃髪(ていはつ)の僧体であった頃から時が経ち、すっかり侍烏帽子(さむらいえぼし)の似合う軍師の姿となっている。
「お久しゅうござる、雪斎殿。その節は、お世話になりました」
「いえいえ、こちらこそ。そなたがおられるということは、御寮殿の処(ところ)におられるのが、噂の若君にござりまするか?」
「噂の……。それは、いかなる類の風聞でござるか?」
 信方は微(かす)かに眉をひそめながら聞き返す。
「初陣において、自ら殿軍(しんがり)を御所望なされ、しかも、その一軍にて敵城を攻め落としたと、もっぱらの評判になっておりますが、違いましたか」
 太原雪斎が笑みを絶やさずに答えた。
「確かに、相違ありませぬが。……さような話が駿府にも広がっていると?」
「ええ、駿河だけでなく、近隣の諸国に聞こえておりましょう。盟友の御嫡男が頼もしい戦(いくさ)働きをなされたと、当家においても賞賛の声が広がっておりまする。やはり、武田家との盟約は間違っておらなんだと」
「さようにござるか……」
 信方もぎこちない笑顔をつくる。
 ――耳の早い漢(おとこ)だ。われらの動きを含め、武田の内情はすべて摑んでいるということか。



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〈プロフィール〉
海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう)
1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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