よみもの・連載

信玄

第三章 出師挫折(すいしざせつ)25

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

 諏訪へ出張(でば)ると決めてからの武田家の躍進にはめざましいものがあった。
 晴信は家督を嗣(つ)いでからの出師、すなわち出兵に関しては、非の打ち所のない結果を残している。近隣の諸国で最も若い惣領でありながら、今川家と北条家の和睦をまとめた手腕も大きく評価されていた。
 齢(よわい)二十五の惣領としては、できすぎた結果かもしれない。
 しかし、一人の漢に戻れば、どこか寒々とした風が心に吹き込んでくるような気がした。
 己の無力さを痛感させられるような隙間風である。
 それは、たった二人の女人によってもたらされた挫折かもしれない。
 一人はその命を救えなかった妹、禰々(ねね)だった。晴信にはとうてい理解できない感情を抱えたまま身罷(みまか)ってしまったのである。
 そして、もう一人は、もちろん麻亜だった。
 ――女人とは、命懸けでなければ本音の話ができぬのか?
 それが率直な感想だった。戸惑いだけが所在もなく、そこに漂っていた。
 惣領としての成長に較べ、漢としての成長はまだまだ途上にある。それが晴信に理屈では割り切れない挫折感をもたらしていた。 
 それでも前へ進まなければならなかった。
 そして、年が明けてしばらくすると、晴信が想像すらしなかった事件が起きた。

第三章 〈完〉

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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