連載
「新 戦国太平記 信玄」
第一章 初陣立志16 海道龍一朗 Ryuichiro Kaitou

「……まあ、告口とまでは思っておらぬが」
「われらは物見として些細(ささい)なことでも御屋形様に報告せよと命じられており、それに逆らえば処罰されまする。報告は至極当然の仕事であり、断じて告口などではありませぬ。それを果たした上で、若君様の城攻めに尽力いたしました。駿河守殿、よもや、御屋形様に命じられて若君様の行状を監視していたなどと思うておられるのではありますまいな」
「そんな風には思うておらぬ。されど、せめて、一言申しておいてくれれば……」
 戸惑いがちな信方の言葉を遮り、信秋は思いの外、語気を強めて言う。
「われらから逐次報告がなされていると知っていたならば、かえって城攻めを躊躇(ためろ)うたのではありませぬか」
「……まあ、それはそうかもしれぬが」
「正直に申せば、城攻めをお勧めしたのは、われらの諜知(ちょうち)の力を誇示するためでありました。それがなければ殿軍だけでの城攻めなど行えるはずもなく、御屋形様や他の重臣の方々にも、さようにご理解いただけると思うておりまする。われらの如き外様の新参者は、そうでもして己の能を示さねば、家中に残ることはできませぬ。常に崖淵(がけふち)、手柄がなければ、落ちてゆくだけ。われらの立場をご理解くだされ」
「そなたの言いたいことはよくわかった。つまらぬことを申してすまなかった」
「いえ、お気になさらず。されど、これだけは申し上げておきまする。それがしがこの場でこうして酒を吞んでいるのは、若君様の気風(きっぷ)に惚れたからにござりまする。土壇場での御決断、どれも、お見事でありました」
 信秋の本心に、信方も感じ入る。
「さようか。これからも、よろしく頼む」
「こちらこそ。駿河守殿が肚(はら)を割ってお訊ねくださるのならば、御屋形様の御機嫌などについて、お伝えすることもやぶさかではありませぬ。もちろん、あくまでも役目のうちということで」
 跡部信秋は不敵な笑顔で言った。
 ――こ奴は確かに一癖も二癖もあるが、日和見(ひよりみ)の追従者(ついしょうもの)ではない。敵に回せば相当に厄介であり、味方にすれば、これほど役に立つ漢(おとこ)もおるまい。これを機会に、何とか若の味方にしておかねばならぬ。
 信方はそう思っていた。
 その対面では、諸角虎定と原昌俊が盃を交わしている。
「そなたがかような場にいるとは、ちと意外であるな、加賀守殿。今頃は、常陸(ひたち)殿あたりと汲み交わしていると思うたがな」
「それがしの相伴(しょうばん)では不足にござりまするか?」
 原昌俊は柔和な笑顔で老将に酒を注ぐ。
「不足なものか。御屋形様の秘蔵っ子に酌をしてもらうのは過分であろう。ほれ、ご返杯」
「有り難うござりまする。遠慮なく」
「それにしても、若君様の胆力はなかなかのものであったな。正直、この老骨は驚かされっぱなしであった」
「確かに、殿軍の城攻めとは、度肝を抜かれました」
「奇策の実行もそうだが、まずは御決断の疾(はや)さに驚かされた。そして、何よりも、この城攻めの責をお一人で負われようとした御胆力。並の者には、到底できぬ。しかも、相手はあの御屋形様だ」
「まことに。それがしは眼の前で見ていて、肝が縮みました」
「嘘を申すな。そなたが御屋形様との執り成しに入ったと聞いたぞ。金玉の縮み上がった者にできる所業ではあるまい。それも意外ではあったがな」
 諸角虎定は疵面(きずづら)をゆがめて笑う。



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〈プロフィール〉
海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう)
1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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