――今、やっとわかった。要害山城へ上ると、喉が締めつけられるように息苦しいのは、ずっと密命に悩み続けた己を封じたままだったからだ……。されど、己の掌に生まれたばかりの若の命の重みを感じた時、確かにこの身は恐れを感じ、それを守り続けねばならぬと決めた。そういうことか。 信方は生まれたばかりの晴信が己の掌の中で寝息を立てている姿を見て、雷に打たれたが如く父性に目覚めた。 その時の、言葉にはできない感情が丹田(たんでん)から胸の裡(うち)へとせり上がり、思わずあられもなく哭き出したくなる。すんでのところで嗚咽(おえつ)を堪え、何度も顔に湯をかけ、両手で頬を叩く。 ――今、はっきりとわかった。あれは宿命の時だったのだ。やはり、この身は死ぬまで若を守らねばならぬ。 「い、板垣。大丈夫か、眼が真っ赤だ」 「ああ、顔を洗おうとして湯が眼に入ってしまいました。大丈夫にござりまする」 「さようか」 笑った晴信の目尻も赤らんでいた。 「そろそろ上がりませぬか。のぼせて鼻血が出そうにござりまする」 信方は頭に乗せていた白布で顔を覆い、目頭を押さえた。 「そうしよう。積翠寺で冷たい井戸水をいただきたい」 晴信は湯から上がった。 二人は相手に顔を見られまいと背を向けながら軆を拭く。冷たく透き通った大気の中に、微かな湯気が立ち上っていた。 晴信の初陣を終え、二人は志(こころざし)を新たにする。しかし、その前途はまだまだ多難だった。 そして、隣国ではすでに、新たな戦の気配が胎動していた。
第一章 〈完〉