「あ、若。少しお待ちくださりませ」 信方は小走りで門内へ入り、何かを持って戻ってきた。 「寺から拝借して参りました。これが役に立ちまする」 右手に桶を摑んでいた。 四町(約四百三十㍍)ほど離れた涌湯へ行くと、 濛々(もうもう)と白い湯気が上がっている。 「ここか……」 晴信は驚きの表情で涌湯を見る。 天然の岩に囲まれた小さな湯だまりだった。 「……どうすればよい、板垣?」 「ここで衣を脱ぎ、湯に浸かるだけにござりまする」 信方はさっさと素襖(すおう)を脱ぎ、犢鼻褌(たふさぎ)まで外す。 「……犢鼻褌までもか」 晴信は戸惑いながらも真似をする。丸裸になってから、恐る恐る湯に爪先を入れた。 「あちっ!」 あまりの熱さに、晴信は飛び退(しさ)る。 「ははは、若、涌湯の入り方がわかっておりませぬな」 信方が高笑いする。 「まずは、軆を冷やすために、しばらくこのままで待ちまする」 腰に両手を当て、仁王立ちになった。 「震えがくるほど冷えましたならば、これで湯を打ちまする」 信方は寺から持ってきた桶で湯を汲み、何度も軆に浴びせかけた。そして、熱さに慣れた頃、両足を湯に入れる。 「最初の熱さは我慢あるのみ。くぅ〜」 それを見た晴信は、傅役(もりやく)の真似をして同じ要領で涌湯に足を入れる。 「うぅ、熱い」 肌に痛みを感じるほど、天然の涌湯は熱かった。 「ははっ、我慢、我慢」 信方は両手で軆に湯を掛けながら笑う。 たっぷりと時をかけてから、二人は首まで湯に浸かった。 「ああ、慣れると、凄く良い湯だ」 晴信は気持ちよさそうに両手両足を伸ばす。 「その通りにござりまする」 「ここの湯を産湯(うぶゆ)に使うたと?」 「さようにござりまする。湯が冷めぬように、何度もここと積翠寺を往復いたしました。夜更け過ぎに御方様の陣痛が始まり、若がお生まれになった頃には、夜が明けそうになっておりました」 「さようであったか」 晴信は感慨深げに呟く。 ――あれから十五年も経ったというのか……。 信方も別の感慨に耽(ふけ)っていた。