「それがしはただ、家中がまとまる方法だけを考えていただけにござりまする」 「まあ、保身のために、あえて波風を立てたがる者もおり、若君様が臆病者だなどと触れ回った輩(やから)さえいる。誰とは言わぬが、御屋形様の御側(おそば)で囀(さえず)っている者どもの話がいかに信用ならぬか、こたびのことでよくわかったわい」 「さようにござりまするか」 「されど、どうしても腑に落ちぬことがある」 「何でありましょうや」 「若君様が並の才ではないとわかっておりながら、なにゆえ御屋形様はあれほどまでにつれなくなさるのであろうか」 憂いを含んだ口調で、諸角虎定が呟く。 「つれなくなさっているのではなく、厳しくお鍛えになっているのではありませぬか。それがしはさように信じておりまするが」 「……そなたがさように申すのならば、そうかもしれぬ。これ以上、勘違いをする者が増えねばよいが」 「それがしも家中の和に尽力いたしまする」 「ところで話は変わるが、陣馬を預かる者として、これからの戦は大変であろう」 老将の気遣いに、陣馬奉行が真顔になる。 「利のない戦は、これ以上できませぬ。それよりもまず、出陣が苦にならぬよう、まずは国内の困窮を立て直さねばなりませぬ。それを御屋形様に御納得いただかねば……」 原昌俊は遠くを見るように眼を細める。 その横顔を、諸角虎定は複雑な心境で見つめた。 ともあれ、殿軍の将兵たちは重圧から解放され、和気藹々(わきあいあい)と酒を汲み交わしている。まだ多くの酒が呑めない晴信は、その様子を見ながら己の初陣が終わった実感を味わっていた。 ――陣中にいた時は、足許が浮(うわ)ついたようで、どこか実感が乏しかった。されど、こうしていると、己が戦場(いくさば)にいたのだと感じることができる。やはり、戦とは、人があってのものなのだと……。 潤みそうになる瞳をこすりながら、晴信は家臣たちを見る。 これほどの人に囲まれたことはなく、勝利の祝宴など加わったこともない。しかし、この場に集っている者たちの顔は、どれも誇らしげで頼もしく見えた。 それを見ているだけで得も言われぬ感慨がこみ上げてくる。 苦楽をともにした味方が、初めてできた。そんな実感だった。 「若、あまりご無理をなさらず、お疲れでしたら、遠慮なくお休みくださりませ」 信方が晴信に囁(ささや)きかける。 「いや、まだ大丈夫だ。それよりも、皆と一緒にいたい」 晴信は笑顔で応えた。 「さようにござりまするか。では、存分に楽しまれた後で、中締めを」 「わかった。そなたも心おきなく呑んでくれ」 「有り難き仕合わせにござりまする」 思わず瞳を潤ませながら、信方も頷く。 ――ひとまず無事に御初陣は終わった。されど、これまで以上に気を引き締めねばならぬ。せめて、ここに集うた者たちだけでも若から離れていかぬようにせねば。 信方は思いを新たにする。 この後、陣馬奉行の原昌俊を中心とし、殿軍の将兵たちによって戦の手仕舞いが行われた。海ノ口城は戦勝の証(あかし)として処理され、戦費の帳尻が合わされる。 晴信の初陣は、殿軍だけでの敵城攻めという奇策の成功で終わった。 しかし、その実蹟は父から称揚されることもなく、無視されたのである。相変わらず、不興は続き、関係改善の兆しは見えない。 それでも、城攻めに関する咎は、晴信の謹慎だけに留まり、他の者への処罰はなかった。