連載
「新 戦国太平記 信玄」
第一章 初陣立志16 海道龍一朗 Ryuichiro Kaitou

「それがしはただ、家中がまとまる方法だけを考えていただけにござりまする」
「まあ、保身のために、あえて波風を立てたがる者もおり、若君様が臆病者だなどと触れ回った輩(やから)さえいる。誰とは言わぬが、御屋形様の御側(おそば)で囀(さえず)っている者どもの話がいかに信用ならぬか、こたびのことでよくわかったわい」
「さようにござりまするか」
「されど、どうしても腑に落ちぬことがある」
「何でありましょうや」
「若君様が並の才ではないとわかっておりながら、なにゆえ御屋形様はあれほどまでにつれなくなさるのであろうか」
 憂いを含んだ口調で、諸角虎定が呟く。
「つれなくなさっているのではなく、厳しくお鍛えになっているのではありませぬか。それがしはさように信じておりまするが」
「……そなたがさように申すのならば、そうかもしれぬ。これ以上、勘違いをする者が増えねばよいが」
「それがしも家中の和に尽力いたしまする」
「ところで話は変わるが、陣馬を預かる者として、これからの戦は大変であろう」
 老将の気遣いに、陣馬奉行が真顔になる。
「利のない戦は、これ以上できませぬ。それよりもまず、出陣が苦にならぬよう、まずは国内の困窮を立て直さねばなりませぬ。それを御屋形様に御納得いただかねば……」
 原昌俊は遠くを見るように眼を細める。
 その横顔を、諸角虎定は複雑な心境で見つめた。
 ともあれ、殿軍の将兵たちは重圧から解放され、和気藹々(わきあいあい)と酒を汲み交わしている。まだ多くの酒が呑めない晴信は、その様子を見ながら己の初陣が終わった実感を味わっていた。 
 ――陣中にいた時は、足許が浮(うわ)ついたようで、どこか実感が乏しかった。されど、こうしていると、己が戦場(いくさば)にいたのだと感じることができる。やはり、戦とは、人があってのものなのだと……。
 潤みそうになる瞳をこすりながら、晴信は家臣たちを見る。
 これほどの人に囲まれたことはなく、勝利の祝宴など加わったこともない。しかし、この場に集っている者たちの顔は、どれも誇らしげで頼もしく見えた。
 それを見ているだけで得も言われぬ感慨がこみ上げてくる。
 苦楽をともにした味方が、初めてできた。そんな実感だった。
「若、あまりご無理をなさらず、お疲れでしたら、遠慮なくお休みくださりませ」
 信方が晴信に囁(ささや)きかける。
「いや、まだ大丈夫だ。それよりも、皆と一緒にいたい」
 晴信は笑顔で応えた。
「さようにござりまするか。では、存分に楽しまれた後で、中締めを」
「わかった。そなたも心おきなく呑んでくれ」
「有り難き仕合わせにござりまする」
 思わず瞳を潤ませながら、信方も頷く。
 ――ひとまず無事に御初陣は終わった。されど、これまで以上に気を引き締めねばならぬ。せめて、ここに集うた者たちだけでも若から離れていかぬようにせねば。
 信方は思いを新たにする。
 この後、陣馬奉行の原昌俊を中心とし、殿軍の将兵たちによって戦の手仕舞いが行われた。海ノ口城は戦勝の証(あかし)として処理され、戦費の帳尻が合わされる。
 晴信の初陣は、殿軍だけでの敵城攻めという奇策の成功で終わった。
 しかし、その実蹟は父から称揚されることもなく、無視されたのである。相変わらず、不興は続き、関係改善の兆しは見えない。
 それでも、城攻めに関する咎は、晴信の謹慎だけに留まり、他の者への処罰はなかった。



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〈プロフィール〉
海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう)
1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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