よみもの・連載

信玄

第七章 新波到来(しんぱとうらい)

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

 そう思いながら、数十日を弟のための祈禱に費やした。
 やがて、それが母親や傅役(もりやく)だった板垣(いたがき)信方(のぶかた)の冥福を祈ることに繋(つな)がっていき、これまでに身罷った家臣たちすべての鎮魂へと変わっていった。時には意味もなく滂沱(ぼうだ)の泪(なみだ)が流れ出ることもあった。
 それが己の感傷にすぎず、いわゆる煩悩なのであろうとも、浮かんでくる様々な想いに身を委ねることにした。
 やがて、大きく揺らいだ己の心が次第に鎮まっていき、潔斎の間を包む静謐(せいひつ)と同化するのに、ひと月以上の時が過ぎた。
 そして、信玄はひとつの凡庸な結論に至る。
 ―─この身はいま、折り重なる夥(おびただ)しい死の上に生かされている。その重みを真摯に受け止め、これからも生きていかねばならぬ。
 そのことを言葉で明確に自覚した。
 たとえ、凡庸な結論であろうとも、それが真の己と向き合い続けた行の成果だった。
 そして明日、永禄(えいろく)四年(一五六一)十月二十九日には忌明けとなり、信繁をはじめとして川中島で討死した者たちの満中陰(まんちゅういん)法要が行われる。故人の死後四十九日目が中陰にあたるため、それが満ちる日という意味で満中陰の法要と呼ばれていた。
 ――ここまでの日々は、長いようで短かった。久方ぶりに偽りなき己と向かい合うことができたような気がする。されど、四十九日の法要が終われば、何食わぬ面持ちで惣領(そうりょう)としての仕事に戻らねばならぬ。それが世俗の垢(あか)にまみれた日々であろうとも、この身の宿命に他ならぬのだから……。
 信玄が鉤召護摩法の行を終え、潔斎の間から出た翌日、甲斐の府中で粛々と満中陰の法要が執り行われる。武田一門は大きな哀(かな)しみに包まれ、終日、川中島で失われた多くの命を惜しんだ。
 この法会(ほうえ)が終わった後、信玄は惣領としての煩雑な日々へと戻る。
 川中島合戦で惣領代行の信繁や要職に就いていた重臣たちを失ったことにより、家中の改革が必要となっていた。
 信玄は嫡男の義信(よしのぶ)を惣領代行とし、新たに飯富(おぶ)虎昌(とらまさ)を重臣筆頭、馬場(ばば)信房(のぶふさ)を近習(きんじゅう)筆頭と定める。この者たちを中心に内談の場が持たれ、家臣たちの序列や職掌についても見直しが行われた。
 その結果として、各所の役目において急速に世代の交代が進められる。
 ――家中の若返りを図るのは大事なことだが、まだ経験の少ない者もおり、新しい体制が安定するまでに、それなりの時を要するであろう。しばらくは少数で行う内談にて方針を決め、事を進めていくしかない。
 それが信玄の考えだった。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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