第七章 新波到来(しんぱとうらい)
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
「調略か」
「甘楽(かんら)郡の小幡(おばた)憲重(のりしげ)と信実(のぶざね)の親子が当家へ鞍替(くらが)えした後も、態度を明らかにしておらぬ西上野の国人(こくじん)衆が数多くおりまする。残念ながら、われらが善光寺平(ぜんこうじだいら)へ出張った隙を狙い、箕輪(みのわ)の長野(ながの)業正(なりまさ)によって小幡の国峯(くにみね)城は奪われてしまいましたが、それがしが伊賀守(いがのかみ)から聞いたところによりますれば、箕輪城の長野業正が病いに臥(ふ)しており、その病状はかなり重篤とのことにござりまする。その諜知(ちょうち)が正しければ、われらが内山(うちやま)峠を越えたとしても、業正と箕輪衆は動けぬのではありませぬか」
義信が言ったように、この嫡男が北条綱成(つなしげ)と協力して西上野へ出張った時、国峯城々主だった小幡憲重と嫡男の信実が武田家に寝返っている。
しかし、これに対し、上杉政虎に与(くみ)した箕輪城の長野業正が小幡父子の留守中に国峯城を乗っ取り、娘婿の小幡図書介景定(ずしょのすけかげさだ/景純〈かげずみ〉)を新たな城主に仕立てた。
それを知った信玄は信濃と西上野の境となる南牧(みなみまき)に砥沢(とざわ)城を築き、そこに小幡憲重と信実の親子を入れた。
それが昨年、永禄三年(一五六〇)九月のことである。
「箕輪衆が動けぬのならば、それがしが出陣いたしますゆえ、小幡親子を先陣に立たせ、小幡図書介に国峯城の返還を迫ればよいと存じまする。長野業正の後盾がなければ、図書介には城を守り通す力も気概もありませぬ。おそらく、命を保証してやれば、開城に応じると思いまする。それならば、われらの兵を損なう怖(おそ)れは少なく、北条家との約定も果たすことになり、当家の名分も立つのではありませぬか」
義信の具申に、信玄は深く頷いた。
「なるほど。そなたの申す通りに事が進めば上首尾の運びとなろう。して、その後はいかがいたすつもりか?」
「国峯城から北西に四里ほどはなれた処(ところ)に、富岡(とみおか)の高田(たかだ)城がありまする。そこに高田繁頼(しげより)という城主がおりまして、この者は前回の出陣の時にも長野業正に与するか、当家に鞍替えするかを迷っておりました。できれば、この高田繁頼と富岡の高田城を先に調略し、それから、この者を加えて国峯城へ押し出すのが上策と考えまする。幸いにも小幡憲重が高田繁頼とは古くからの知己でありますゆえ、かの者を通じて事前に調略を仕掛けるのがよいと存じまするが」
「前捌(まえさば)きか」
「はい。ただし、調略に応じなかった時のことも考え、それなりの兵数を揃(そろ)えて出張った方がよいとは思いまするが」
「西上野の小城を首尾良く落とし、そこを拠点にして他の国人衆に調略を仕掛けるという策だな。なかなか良く練られておる」
信玄は感心しながら何度も頷く。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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