第七章 新波到来(しんぱとうらい)
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
「叔父上なき今、兄弟姉妹のなかで、これから父上をお支えできるのは、それがしと四郎しかおらぬ。おそらく、父上は母上に気をお使いになり、諏訪の御寮人と四郎をわれらと会わせぬようにしてきたのだと思う。されど、母上の本音はまだしも、それがしに諏訪の御寮人や四郎に対して蟠(わだかま)りなどあるはずがなかろう。武門の長男として生まれたならば、腹違いの兄弟が増えることなど当たり前ではないか。それでも身内、兄弟姉妹の中に和をもたらすのが嫡男の役目なのだ。それがしは余計な感情になど流されぬ!」
「……仰せの通りかと」
「もしも、それがしが戦場で不覚をとったならば」
義信の言葉を、飯富虎昌が遮る。
「若ぁ、さようなことを……」
「黙って聞いてくれ、兵部。もしも、それがしが討死したならば、四郎が武田一門を支えていかねばならぬ立場となる。そうなる前に、四郎には色々と伝えておきたいことがあるのだ。叔父上がこの身に薫陶してくださったように、父上からでは仰せになりにくい大事なことを話しておかねばならぬ」
「……さような意味にござりましたか。差出口を挟みまして、申し訳ござりませぬ」
「兵部。実は、まさか叔父上が不覚を取られるなどということを、この身は微塵(みじん)も思うていなかったのだ。されど、さような理不尽が起こってから初めて、叔父上が生前に授けてくださった数々の薫陶が、わが魂魄の隅々にまで染みわたった。父上からも教えていただけなかった事柄を叔父上はこの身に授けてくださった。そのことを心底から悟った。己が生きているうちに、それと同じことを四郎にしてやりたいと思うのは間違いなのか?」
「いいえ、実に尊い御志(おこころざし)と存じまする」
「正直に申せば、まだ叔父上の御逝去を受け入れられぬ己がここにいる。されど、かの御方にどれほど守られていたかということは、痛いほどわかった。その叔父上を失った身は、これまでの己とは違う。あれから様々な覚悟をした。この身はこれから、叔父上のように生きなければならぬ。だから、四郎とも肚(はら)を割って話すことが必要なのだ」
滾(たぎ)る想いを抑えながら、義信は心情を吐露した。
「……よくわかりました、若」
虎昌が真顔で頷く。
「それがしが御屋形様とお話しいたしまする。事前に若のお気持ちの半分でもお伝えしますゆえ、その後でもう一度、四郎様への想いを御屋形様へお伝えくださりませ」
「わかった。いつまでたっても世話をかけてすまぬな、兵部」
「なにを水くさい……」
飯富虎昌は照れくさそうに頭を搔(か)いた。
二人が廊下で話をしていたのと同じ頃、信玄は馬場信房にあることを命じていた。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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