「御屋形様に対して苛立つなど、滅相もござりませぬ。この戦があまりに難しくなってしまいましたゆえ、それがしも戸惑うており、それらのことを踏まえた上で御屋形様にお訊ねしとうござりまする。さきほどの御言葉、もはや城攻めを諦め、ここで手仕舞いにすべきとお考えにござりまするか?」 「この戦は、すでに鶏肋(けいろく)だ。いつまで、しゃぶっていても腹は満たされぬ。いたずらに時を費やしたため、捨てるには惜しくなってしまったが、腐り果てる前に見限るのが上策ではないのか」 信虎の言った鶏肋とは、三国志や後漢書に出てくる故事であり、魏(ぎ)の曹操(そうそう)が漢中(かんちゅう)をめぐって劉備(りゅうび)と持久戦になった時に呟いた言葉である。 汁の中に残った鶏の肋骨(あばらぼね)は、しゃぶっていると微かな味がする。しかし、腹は満たされないことから「実利は得られないが、捨てるには惜しいもの」を表す言葉となった。 劉備軍に苦戦を強いられ、なかなか落とせない漢中の地を、曹操は「鶏肋」、すなわち「食べても腹の足しになるほどの肉はついていないが、捨てるには惜しい」と喩(たと)えたのである。 「鶏肋と言われれば、確かに、そうかもしれませぬ。されど、昨夜、加賀守(かがのかみ)とも話しましたが、すでにこれまでの滞陣でかなりの兵糧や資材を費やしておりまする。このまま手宮笥(てみやげ)もなく、新府へ戻るのはいかがなものかと……」 昌勝は渋面で喰い下がる。 この家宰が言った加賀守とは、陣馬(じんば)奉行の役目を預かる原(はら)昌俊(まさとし)のことだった。信方と同い歳であり、重臣の一人である。 武田家の戦に際し、矢銭や兵糧の手配りを統括するのが荻原昌勝であり、それを陣立や行軍の内容に従って差配するのが原昌俊の役目だった。 当然のことながら、急な合戦に対する臨時の徴発も荻原昌勝が行い、戦費を賄うために俸禄(ほうろく)の差し止めや遅配などを告げるのも、家宰の役目である。 戦費の調達について責任を持つのは荻原昌勝であり、必ず領民や家臣たちの不平不満が向けられる。また、今回のように滞陣が延びれば、配られる粮米(ろうまい)が絞られることへの鬱憤は兵粮奉行を兼ねる原昌俊に向けられた。 つまり、先の見えない戦が続くと、この二人が内輪の矢面(やおもて)に立たされた。そのため、普段は主君に対して愚痴のひとつもこぼさない家宰が、追い込まれて本音を覗かせたのである。 だが、信虎は家宰の直言を鼻で笑う。 「手ぶらの退陣が恥ずかしい、だと?……ならば、城攻めについて献策せよ。誰でも構わぬぞ」 酔虎の凶暴な眼差しを向け、一同を睨(ね)め回す。 評定の場は、一瞬にして薄氷が張ったような沈黙に包まれた。 そんな中で晴信と信方は、それとなく末席にいる跡部信秋を見る。先日の策を具申するのは、この機会かもしれないと思ったからだ。 しかし、当の物見頭は口を噤(つぐ)み、眼を伏せたままだった。