「いや……。さように考えてくれたとは、有り難い。そなたが殿軍に残ってくれるということなのであろう?」 「正確には、そういうことでもないのだがな。ともあれ、諸角(もろずみ)殿に加え、鬼美濃(おにみの)までが名乗り出てくれたのだから、この身が残るよりも遥かに心強いではないか」 「そうだな」 「おいおい……」 昌俊が苦笑する。 「……思っていても、口に出すことではあるまい」 「ならば、聞くな」 「まあ、よいか。頼もしい武辺者(ぶへんもの)が二人も揃うたのだから」 昌俊と鬼美濃と呼ばれる虎胤(とらたね)は、同じ原の氏姓を名乗っているが、まったく別の一族だった。 昌俊は美濃の土岐(とき)家に属していた蜂屋(はちや)家の庶流であり、南北朝の争乱が続いていた頃に美濃国恵那(えな)郡遠山荘(とおやまのしょう)原郷を所領としたことから原の氏姓を名乗っている。 片や、虎胤の一族は下総(しもうさ)の千葉家に属しており、足利(あしかが)義明(よしあき)と争った小弓(おゆみ)城合戦で敗走し、甲斐へ落ち延びてきた。虎胤は大永(たいえい)元年(一五二一)の飯田河原戦で今川勢の大将であった福島(くしま)正成(まさしげ)を討ち取り、美濃守の位を授かったところから「鬼美濃」と呼ばれるようになった。まさに晴信(はるのぶ)が産声を上げた年のことである。 諸角虎定(とらさだ)は今年で齢五十四となった気骨の老将だった。 「されど、信方。若君が自ら殿軍を御所望なさるよう促すとは、ずいぶんと思い切った策に出たものだな。まったく、そなたにはいつも度肝を抜かれる」 「昌俊、そなたとて、若が御自身の苦境にどれほど心を砕かれておられるか、わからぬわけではあるまい。このまま御初陣が終わってしまえば、またぞろ、つまらぬ話を流布する輩(やから)が出てこぬとも限らぬ。何の見返りもない出兵だっただの、海ノ口(うんのくち)城の攻略に失敗したのは若の武運のなさのせいだ、だのとな。そのような者どもを黙らせるには、あえて危険な役割を買って出るしかあるまい。全軍にまったく戦功のない戦(いくさ)なのだから、しっかりと殿軍の役目を務め上げたならば、さっさと退陣した奴ばらに四の五のは言わせぬ。若のお命は、この一身を挺してお守りする。それだけのことだ」 信方は本音を吐露する。 それに対し、昌俊は瞬きひとつしない。そして、肯定も否定もしなかった。 二人の会話に、諸角虎定、原虎胤、跡部(あとべ)信秋(のぶあき)らが黙って聞き耳を立てている。 「そなたの思いは、よくわかった。相変わらず、直入で血が熱いな。羨ましいよ、信方」 昌俊は微苦笑を浮かべる。