連載
「新 戦国太平記 信玄」
第一章 初陣立志12 海道龍一朗 Ryuichiro Kaitou

「して、いかがいたしまするか。すぐに登攀路の命綱張りを始めましょうか?」
「まずは、この件を若にお話ししなければならぬ。……いや、念のため、始めておいてくれるか」
「承知いたしました。お任せあれ」
 跡部信秋は自信に満ちた表情で頷いた。
 信方はすぐに晴信のいる帟へ戻る。
「若、大事なお話が」
「何であるか、板垣。さように怖い顔をして……」
「いま伊賀守と物見の様子を確認し、ある策を思い付きましてござりまする。これからお話しいたしますゆえ、心してお聞きくださりませ」
 信方は跡部信秋と話し合った城の奇襲策を詳細に説明し始める。
 その内容に驚きながらも、晴信は真剣な面持ちで聞き入った。
「……少しばかり突飛な策ではありますが、敵方の隙をわざわざ見逃してやることもありますまい」
「父上に内緒で城攻めを行うということか……」
「されど、若に陣頭で采配を振っていただくということではありませぬ。寄手はこの板垣めが率いますゆえ、若は鬼美濃とともに殿軍にお残りくだされ」
 その言葉を聞き、晴信は何事かを思案するように俯く。
 少しの沈黙の後、意を決したように顔を上げる。
「それは違うのではないか、板垣」
「……と、申されますると?」
「父上から殿軍の采配を預かったのは、あくまでもこの身。それゆえ、城攻めをするというならば、この身が寄手を率いねばならぬのではないか。危険な城攻めを家臣に命じ、己はのうのうと結果だけを待つというのは、采配を預かった大将にはあるまじき振舞だと思うのだが」
「されど、若。城への寄手は、けっした……」
 決死隊と言いかけ、信方は思わず口をつぐむ。
「板垣、そなたがわが初陣のために必死で手柄を立てようとしてくれていることは、痛いほどわかっている。城への寄手をそなたが率いるということは、成功すれば余の手柄とし、よもや失敗すれば、そなたが勝手に行った策とするつもりなのであろう。その気持ちは嬉しいが、そなたの真意をわかっていながら素知らぬ振りをすることはできぬ」
 晴信はすべてを見通していた。
「若……」
「敵城の奇襲が必要だと申すならば、この身もそなたと一緒に攻め入る。そうでなければ、卑怯者になってしまう。もしも、それがだめだと申すならば、殿軍の大将として城攻めの策を認めることはできぬ」
 晴信はきっぱりと言い切る。
 先ほどまで落ち込んでいた様とは見違えるほどだった。
 ――どうやら、若には確固たる好悪(よしあし)の規範があるようだ。それに触れると、驚くほど強靱な意志を発揮なさる。城攻めの寄手が決死隊であることをわかっておられ、殿軍大将としての強い自覚も持っておられた。この身が若の覚悟を見誤っていただけのようだ。
 信方はそう思い、自らの考えに修正を加える。
「若、申し訳ござりませぬ。それがしの言い方が間違っておりました。ここにきての城攻めは乾坤一擲(けんこんいってき)の勝負をかける奇策にござりまする。いかように、お考えになりまするか?」
「そなたは敵方の隙をみすみす見逃す手はないと申した。この身も同感だ。されど、城への寄手を少数の精鋭で絞らねばならぬとすれば、他の将たちの意見も聞いてみるべきではなかろうか」
 晴信は冷静な意見を述べる。
「承知いたしました。すぐに評定を招集いたしまする」
 信方は将たちを集めに走った。
 こうして殿軍を預かった晴信の初陣は、未知の戦術に向かって動き始めた。



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〈プロフィール〉
海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう)
1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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