連載
「新 戦国太平記 信玄」
第一章 初陣立志13 海道龍一朗 Ryuichiro Kaitou

「承知!」 
 将たちは評定の場から素早く動き始めた。
「若、これで策はまとまりました。何か、気になることはありませぬか?」
 信方は硬い表情の晴信に訊く。
「いや、特にはない。皆の話を聞き、だいぶ覚悟が固まった。さりとて、怖気(おじけ)がすべて消えたというわけでもないのだ。出立までの間に、もう少し己の邪念を振り払いたいゆえ、不動明王様に願文(がんもん)を捧げようと思う」
 それを聞き、信方は思う。
 ――若は、まだ己と戦うておられる。そして、真の初陣はこれから始まるのだ。来たるべき時まで独りにして差し上げよう。
「さようにござりまするか。ならば、それがしは加賀守(かがのかみ)の陣へ行ってまいりまする。あ奴の隊もそろそろ退陣を始める頃合いゆえ」
「よろしく伝えてくれ」
「畏(かしこ)まりましてござりまする」
 信方は主君の前を辞し、原昌俊の陣へ向かう。
 まだ申(さる)の上刻(午後三時頃)を過ぎたばかりだが、辺りは宵の口のように昏(くら)くなっていた。
「信方、いったいどうした?」
 原昌俊は訪ねてきた信方を怪訝(けげん)そうな顔で見る。 
「そろそろ陣を引き払う頃だと思うてな」
「ああ、すでに殿軍とわが隊以外は退陣を終えたからな。いま若君の処(ところ)へご挨拶に伺おうと思うていたところだ」
「若はいま不動明王様に願文を捧げられている最中だ。そなたによろしくとの御伝言があった」
「さようか……」
「昌俊、最後にひとつ、頼みがあるのだ」
「何であるか?」
「そなたの隊が出立したならば、なるべく、ゆるりと若神子(わかみこ)を目指してくれぬか」
「なるべく、ゆるり?……敵に追撃の兆候でもあるのか?」
「まあ、そんなところだ。何かあったならば、すぐに早馬を飛ばして知らせるゆえ、そなたの判断で動いてくれ」
 信方の様子から、昌俊は微かな違和を感じ取る。
「信方、何を企んでおる?」
「……別に、何も企んではおらぬ」
「嘘をつけ! 鼻の穴が膨らんでいるぞ。そなたは話をごまかそうとする時、必ず鼻の穴が膨らむ」
「な、何を申すか……」
「まさか、わざと敵の追撃を誘い、一戦交えるつもりではなかろうな」
 昌俊は鋭い視線を向ける。
 信方は一瞬、口をへの字に曲げ、黙り込む。



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〈プロフィール〉
海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう)
1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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