連載
「新 戦国太平記 信玄」
第一章 初陣立志13 海道龍一朗 Ryuichiro Kaitou

「ははぁ、図星か。そなたの口がへの字に曲がっておる。矢が当たった証左だ」
「……そうだとしたら、何とする?」
「事ここに至り、わざわざ波風を立てることもあるまい。無事に撤退し、立派に殿軍を務めるということだけで、若君の御初陣は賞賛に値するのではないか」
「それはわかっている。誘ったとて、敵が城から出てくるとも限らぬしな。……されど、何かあった時のために、少しだけ歩みを遅くして欲しいだけだ」
「もしも、戦いがあったならば、われらが殿軍の後詰にしようというわけか。わかったよ。されど、無茶はするなよ、信方」
「心得ている。若が一緒だからな」
「では、われらも退陣を開始いたす。そのように若君へお伝えしてくれ。武運を祈る」
 原昌俊の言葉に、信方は深く頷いた。
 こうして陣馬奉行の隊も南牧(みなみまき)の陣を引き払い、晴信の殿軍だけが残ることになった。
 相変わらず、雪は止む気配を見せない。気温はどんどん下がり、骨身にしみるほどの寒さとなっていた。
 そんな中、殿軍の中から密かに一隊が動き始める。原虎胤の率いる百余の先鋒(せんぽう)が、跡部信秋に先導されて隠し路(みち)へと向かった。
 海ノ口城は佐久往還の東側に位置し、尾根伝いに三段の梯郭(ていかく)をなしている。三の曲輪(くるわ)の南西側に追手門(おうてもん)があり、ここまでは追手道の急坂が続いていた。通常の城攻めならば、寄手はこの坂を登っていかなければならない。
 しかし、跡部信秋が創った隠し路は、南牧の里から東の山裾へ分け入った処を起点としている。ちょうど二の曲輪と三の曲輪の中間にある水の手、その真南の麓に起点が位置していた。
 つまり、隠し路のから海ノ口城を目指す場合、山の急斜面に入り、鬱蒼とした木立の中を真北に向かって登攀していくことになる。
 木立と木立の間には道筋を示す綱が張られ、それに従って登っていけば、三の曲輪と二の曲輪の間にある水の手に到達する。そこならば、兵が溜まれる余地があり、すぐ西側にある追手門へ廻り込むことができた。
 しかし、文字通り、足場はほとんど路とも言えないほどの獣道(けものみち)であり、折からの積雪で登攀は困難を極めた。
 跡部信秋が放った伝令は後方にそのことを伝える。そして、原虎胤に続いて諸角虎定、横田高松の隊が出立し、いよいよ信方と晴信の隊も登攀を開始する。その後ろに寄手の最後尾である多田満頼の隊が張り付き、さらに小畠虎盛の率いる三百が麓で待機していた。
 登攀を始めて間もなく、晴信は城攻めの寄手に加わったことを後悔し始める。
 ――なんという足場の悪さだ。降り積もった雪に足を取られ、この傾斜ではまともに進めぬ。もしも、この命綱がなければ、一歩たりとも先へ進めなかったかもしれぬ……。
 命綱を摑む左手もすぐにかじかみ始め、感触が希薄になっていく。
 足許も防寒のために革足袋(かわたび)を重ねて履き、その上から毛氈(もうせん)でくるみ、毛沓を履いているはずなのに、冷えのせいで爪先の感覚も失われていた。
 すぐに疲れで軆(からだ)の動きが鈍ってくるが、立ち止まるわけにはいかない。一列の縦隊で登攀を行っているので、晴信が止まれば後続の者たちも動けなくなり、取り返しのつかない遅延が生じる。一歩ずつでも、とにかく前へ進まねばならなかった。



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〈プロフィール〉
海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう)
1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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