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連載
「新 戦国太平記 信玄」
第二章 敢為果断(かんいかだん)2 海道龍一朗 Ryuichiro Kaitou

 ――それを放棄すれば、北条家は己の矜恃(きょうじ)を捨てたことになり、始祖の御爺様に顔向けができぬ。父上は何が何でもこの地を手放すまい。されど、問題はこの河東を奪取した後のことだ。
 折烏帽子(おりえぼし)を括(くく)る鉢巻を締め直してから、氏康は富士の裾野を眺め渡した。
 そこに福島(くしま)綱成(つなしげ)が駆け込んでくる。
「氏康様、武田が出張ってまいりました!」
「場所はどこだ、綱成」
「裾野東側の須走口にござりまする」
「やはり、われらの背後を狙うように加古坂(籠坂)の峠を越えてきたか」
 氏康は微(かす)かに眉をひそめる。
「まだ他方からの早馬は着いておりませぬが、おそらく、武田の援軍はその一軍だけではなく、身延(みのぶ)道の万沢(まんざわ)辺りまで別の軍勢が動いていると推しまする」
「武田の援軍は予想していたことだが、須走口を睨んでの戦いは予断を許さぬ。一気に戦が難しくなったな。綱成、そなたにとっても、決して負けられぬ戦いだ」
「はっ!」
 そう答えながら、福島綱成は長い睫毛(まつげ)を伏せ、奥歯を嚙みしめる。
 この漢(おとこ)は齢七で小姓になった時から氏康の側近であり、二人は同歳(おないどし)だった。
 そして、氏康とはまた別の意味で、今回の戦と土地に深い因縁を持っていた。
 綱成の実父は福島兵庫介正成(ひょうごのすけまさしげ)といい、今川家の重臣で高天神(たかてんじん)城の城主であった。
 父の正成は甲斐の武田晴信が生まれた大永(たいえい)元年(一五二一)に、今川勢を率いる大将として甲斐へ攻め入っている。この時、最終決戦の場となった新府の上条河原(かみじょうがわら)で、精鋭の槍騎馬を率いる原(はら)友胤(ともたね)に急襲され、正成が討死してしまった。
 それにより今川勢は瓦解(がかい)して散り散りに敗走し、原友胤は余勢を駆って高天神城まで攻め寄せた。
 正成の家臣であった大須賀(おおすが)太郎左衛門(たろうざえもん)と新六郎(しんろくろう)の二人が機転を利かし、主君の子であった勝千代(かつちよ)と弁千代丸(べんちよまる)を城から逃がす。しかし、行先は駿府ではなかった。 
 福島正成は確かに今川家の宿老だったが、甲斐の武田信虎(のぶとら)に敗れた今、その遺児たちを駿府に連れて行っても、敗将の子として厚意では迎えられないかもしれないと思ったからである。
 そして、大須賀兄弟が二人の遺児を連れて向かったのは、河東の興国寺城であり、北条氏綱を頼ろうとしたのである。生前の福島正成はこの武将と並みならぬ親交があり、氏綱は今川と共に武田信虎とも睨み合っていたからだ。



 
〈プロフィール〉
海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう)
1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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