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連載
「新 戦国太平記 信玄」
第二章 敢為果断(かんいかだん)3 海道龍一朗 Ryuichiro Kaitou

「えっ!? ……それがしのことにござるか?」
 信方は憮然(ぶぜん)とした面持ちで呟く。
「……確かに、和歌のことはさほど存じませぬが」 
「不慣れな方々には、まず和歌というものの優美さを知っていただくことが肝要にござりまする。つまり、都の香りがするような風雅に触れていただく。たとえば、冷泉家が得意とする歌披講(うたひこう)というものがありまする」
「うた……ひこう」
 新たな言葉に、二人は再び顔を見合わせる。
「はい。歌披講は和歌を披露する形式にござりますが、通常の朗読と違う点は独特の節回しをつけて謡(うた)うように詠み上げる手法。これは正月に行われる内裏の歌会始でも必ず冒頭に行われまする」
「内裏の歌会始!? ……さように貴重なものを、この甲斐で!?」
 晴信が驚嘆する。
「はい。内裏で行われる儀とならば、当然、皆様も威儀を正し、真剣にご覧になられるのでは?」
「確かに、そうなりまする」
「畢竟(ひっきょう)、京における風雅の真髄を目の当たりにすることになるのでは」
「なるほど」
「歌披講は一人の講師が指揮し、発声と呼ばれる謡い手が初句を朗吟し、それに続いて数名の講頌(こうしょう)が二句目から合唱していきまする。初心者が多い歌会ならば、古今集など古の名句を披講していけば、自ずと和歌の真髄に触れ、その深みを体験することになりまする。一日目にこれを見せたならば、二日目は講頌の役を家中から募り、歌披講の指南と実践を行えばよろしい。その会の終わりに御題などを授け、中一日の休みを挟んで三日目はそれぞれの歌を発表し、品評など行う題詠となりまする。実際に己が創った歌を講師の方が朗々と読み上げる様に触れると、その未熟さに頬が火照(ほて)り、何気なく使うている言葉というものが、いかに難しいかということを痛感いたしまする。拙僧も漢詩の会で何度もさような思いをいたしました。特に、韻律(いんりつ)に対する感性というものは、生まれつきの才なのではないかと強く思いまする」
 岐秀禅師は自嘲ぎみに睫毛(まつげ)を伏せる。
 ――これは思うていた以上に、大変なことになりそうだ。
 晴信は急に焦り始める。
 ――歌会でこれなのだから、公家の御息女を嫁にもらうとなれば……。
 考える力が失せるほど、気が重くなる。
「さて、幾度か題詠を重ねて詠作に慣れてきましたならば、今度は即興で歌をひねり出さねばならない屏風歌に挑んでいただきましょう。一晩、煩悶(はんもん)して作った歌とは違い、即興は何よりも作者の感覚を如実に表しまする。いや、手練(てだれ)の歌指南であらば、その作者の人となりまで透けて見えてしまうでしょう。語彙(ごい)が豊富であれば、良い歌ができるというものではありませぬ。その人が万物をどのように見て、どのように感じているのかが問われまする。となりますれば、歌合はまさに、その人の生様(いきざま)を賭けた言葉の戦いということになりましょうか。武門の方ならば、勝敗は兵家の常。家中を二つの陣営に分け、複数の戦いとすればよいのでは。五番勝負、いや、七番勝負なども面白いかも。これだけで、ひと月は保ちましょう」
 岐秀禅師の話に、信方は茫然(ぼうぜん)と口を開けていた。



 
〈プロフィール〉
海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう)
1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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