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連載
「新 戦国太平記 信玄」
第二章 敢為果断(かんいかだん)3 海道龍一朗 Ryuichiro Kaitou

「……お、御屋形様は簡単に歌会などと仰せになられましたが、な、何やら大変なことになりそうな気がしてまいりました」
 顰面(しかみづら)となった信方が、急にそわそわし始める。
「……ならば、われらは何を支度しておけばよろしかろうか?」
「何をしても、にわかはにわかでは?」
 笑みを浮かべた岐秀禅師を、信方はすがるような眼で見る。
「さ、さように身も蓋もなきことを……」
「いえいえ、武辺と同じで、急拵(きゅうごしら)えでどうにかなるものでもありますまい。ならば、愚直に和歌と向き合うしかありませぬ」
「……愚直……に」
 信方は二の句を失う。
「晴信殿、囲碁を教授しました時、最初に申した事柄を覚えておられまするか?」
 今度は岐秀禅師が問う。
「はい。基本を覚えたならば、上手の棋譜など並べるのがよかろうと教わった覚えがありまする」
「和歌も同じ。今さらとは思われても、まずは愚直に古今集などを学ばれては、いかがにござりましょう。その際に重要なことをひとつ。必ず、音読いたしましょう。眼で字面を追うのではなく、声に出して語感や韻律を味わうことが肝要。同じ意味の言葉でも、まったく違う響きを持っており、その選び方によって連なる語句が調和したり、反撥(はんぱつ)したりすることで、独特の旋律や韻律を醸し出しまする。それは、音読によってしか身に付きませぬ。謡が謡うことでしか上手くならぬのと同じことにござりまする。手練の歌人ならば、書くのと同時に脳裡(のうり)で言葉を響かせることができますので、音読と同じことを無言にて、できるようになりまする。でも、最初はやはり音読。慣れてきましたならば、感情を乗せた朗読へと進めばよろしいのでは」
「古今集の音読……。戦の支度より大変そうではないか……」
 信方が俯きながらぼやく。
「それが終わりましたならば、次は清書をなさるとよろしい。さすれば、話し言葉と書き言葉の違いが如実にわかってまいりまする。人は普段、何気なく言葉を使うておりますゆえ、文章を創るということがいかに難しいかを忘れておりまする。されど、文など認めようとした時、はたと手が止まってしまい、初めて話し言葉と書き言葉の違いに気づいたりいたしまする。良い文章というものは、ぱっと見た字面でわかるもの。限られた字数の和歌ならば尚更。良い歌は、見た刹那に風景が浮かんでまいりまする。そして、それをひとたび口にすれば、一陣の風が吹くように情感が立ち上ってきまする。名作とは、さようなもの。音読、清書、これを繰り返せば、徐々に歌の言葉というものが、軆(からだ)になじんできましょう。歌創りに挑むのは、それをこなしてからの方がよかろうと」
「それでは、古今集の真似事になってしまいませぬか?」
 信方は困ったように訊く。



 
〈プロフィール〉
海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう)
1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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