よみもの・連載

信玄

第四章 万死一生(ばんしいっしょう)2

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

「これは紅白膾か」
「はい。お正月らしく」
「平皿の煮物は、大根か?」
「凍(し)み大根の田舎煮にござりまする」
「しみ大根とは?」
「大根を厚切りにして軽く茹でましてから、冬の軒下に干して凍らせたものにござりまする。それを凍み蒟蒻(こんにゃく)と一緒に水で戻し、昆布や蕨(わらび)などと煮染めたのが田舎煮。身欠き鰊(にしん)などがあれば、さらにおいしくなりまする。凍み大根は氷室に入れておけば、忙しくなる田植えの頃まで保ちますゆえ、お百姓の方々は田植え煮などとも呼んでいるようにござりまする」
「なるほど。そなた一人でこれを作ったのか?」
 晴信は感心したように麻亜を見る。
「はい、こたびは……。されど、作り方は母に習い、これまでに何度も失敗いたしました」
「いや、これは、うまい。焼物は、公魚(わかさぎ)か」
「はい、白焼きにござりまする」
「うぅむ。どれも箸が進むものばかりだ。お代わりを頼む」
「はい」
 麻亜は嬉しそうに二杯目の強飯をよそって渡す。
「この漬物も甲斐では、あまり見ぬな」
「縞瓜(しまうり)の粕漬(かすづけ)にござりまする。上諏訪(かみすわ)の酒蔵から酒粕をいただき、本縞瓜を漬けたお香々(こうこ)で、こちらではよく食べられておりまする」
「これも良い味だ」
 晴信は小刻みに頷(うなず)く。
 ――思えば、ここにある菜は、すべて諏訪の地の物。しかも気取らず、無理をせず、どれも普通にうまい。まるで「諏訪に馴染んでほしい」といわんばかりの献立ではないか。つまり、あえて、かような朝餉にしてくれたということか……。
「すまぬ。もう一杯だけ、お代わりを」
「はい」
「最後はこの汁をかけて喰いたい」
 三菜や漬物をすべて平らげた後、汁かけ飯をかき込む。 
「ご馳走さま。いやぁ、喰うた、喰うた」
 晴信は腹を撫でながら笑う。
「梅湯で、お口直しを」
 麻亜は梅干しを加えた白湯(さゆ)を差し出した。
 それをすすりながら、晴信はしみじみと思っていた。
 ――この身は完全に麻亜を見誤っていた。この娘は透き通るような美貌より、もっと美しく透き通る心根を持っている。
 同時に、「もう少し麻亜と過ごしてみたい」という思いが芽生える。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

Back number