「本日は興味深い話が聞けて楽しかった。そなたの武運を祈っている」 晴信もだいぶ酔っていた。 「有り難き仕合わせにござりまする」 「では、それがし、虎昌を送ってまいりまする」 信方だけが呑む前とさほど変わらず、平然とした顔をしている。 室を出て、屋敷の廊下を歩き始めた途端、虎昌が両肩を落とす。 それを見た信方が背中を叩く。 「ずいぶんと浮かぬ顔をしているな」 「……昨年のこともあり、正直に申せば、佐久での戦は気が進みませぬ」 虎昌は昨年も佐久へ出張っていたが、村上(むらかみ)義清(よしきよ)が素早く援軍を派遣し、熾烈(しれつ)な戦いとなった。そのせいで思ったような戦果を上げられなかったという苦い経験がある。 「で、あろうな」 信方も心中を察する。この後輩は帰参を許されてから厳しい戦場ばかりを転戦させられていた。 「常陸(ひたち)殿に兵糧を絞られ、相手からの分捕り物で戦えと命じられました。諏訪の与力も当てにならず、まことに生きて帰ってこられるのやら……」 「兵糧か……。ここのところの不作と合戦続きで蓄えが乏しいからな。常陸殿も出すに出せぬのであろう」 「ならば、合戦そのものを先に延ばせばよいのではありませぬか。腹が減っては戦もできぬ。分捕り物で戦えとは、酷すぎまする」 「まあ、そうぼやくな。兵糧が切れたならば、すぐに戻ってくればよい」 「そうはまいりませぬ。御屋形様には手柄を上げるまで戻ってくるなと言われておりまする。われらには負い目がありますゆえ、その御言葉には逆らえませぬ。北条との合戦に続いて手柄を上げれば、少しは家中の眼も変わりましょう。ここが踏ん張り処(どころ)にござりまする。だから、せめて兵食ぐらい潤沢にあって欲しかった」 虎昌は本音を吐露する。 「戦が始まったならば、常陸殿に掛け合い、兵糧の追加を送れるように算段してみる。そのぐらいの助けはするよ」 「まことにござりまするか!?」 「ああ、まことだ。若もあのように申されていたではないか。それこそ、諏訪家から出させればよいではないか」 「うぅむ、その御言葉を信じて踏ん張るしかないな」 大きく両拳を突き上げてから、虎昌は両手で己の頬を叩く。 「ところで、駿河守殿。常陸殿のご様子が気にかかりませぬか。まことに、大丈夫なのであろうか」 「常陸殿がいかがいたした」 「このところ慶事や合戦が続き過ぎており、あまりの物入りで心労が絶えぬと申されておりました。軆(からだ)の具合も良くないそうで、出陣の話をしている間も、しきりに心の臓が痛いと」 虎昌の話では、家宰(かさい)の荻原(おぎわら)昌勝(まさかつ)に異変が起きているようだった。