「……村上義清が海尻城に大幅な梃子(てこ)入れをしたようで、兵部(ひょうぶ)が足止めをくらっておる。どうにか打開せねば、出兵そのものが無駄になってしまうやもしれぬ。そこで……」 「待て、常陸!」 信虎が家宰の言を遮る。 「海尻城如きで手間取っているなどとは聞いておらぬぞ!」 「……いえ、御屋形様、昨夜、申し上げましたが」 「佐久の戦が滞っているとしか聞いておらぬ!」 「……あ、いえ……海尻城とは……確かに」 「余が命じたのは、平賀城の攻略ぞ! その遥か手前で、兵部はいったい何をやっておるのだ!」 「……申し訳ござりませぬ。……村上の動きが……読めておらなかったもので」 荻原昌勝がしどろもどろになる。苦しそうに右胸を押さえ、荒い呼吸を繰り返していた。 「使えぬ者どもめが!」 信虎が怒りにまかせて立ち上がろうとする。 「御屋形様、お待ちくださりませ」 止めたのは、意外にも信方だった。 これには同席していた晴信も驚く。 「何であるか、駿河」 信虎が剣呑(けんのん)な眼差しを向ける。 「懼(おそ)れながら申し上げますが、それがしを虎昌の与力としてお出し願えませぬでしょうか」 「そなたが兵部の援軍とな?」 「はい。これまでの合戦で村上の手口もわかっておりますし、少々手荒い方法を使えば、御屋形様のお望み通りに素早く佐久の制覇が進むと思いまするが」 「手荒い方法?……そなたが直々に出張ると申すか?」 「はっ! お許しいただけますれば、必ずや」 「ふん、面白そうではないか。どこまでやれるか?」 「佐久郡のほぼすべてと考えておりまするが」 「ほう、大きく出たな。ならば、やってみるがよい。与力を許す」 皮肉な笑みを浮かべた信虎が浮かせた腰を再び大上座に下ろす。 「有り難き仕合わせにござりまする」 信方は深々と頭を下げてから言葉を続ける。 「常陸守殿もだいぶお疲れのご様子とお見受けいたしますゆえ、出師(すいし)の編成に関しましては、それがしと陣馬(じんば)奉行の加賀守(かがのかみ)殿にお任せいただけませぬか」 「さようか……」 信虎は今にも倒れそうな荻原昌勝を一瞥(いちべつ)してから答える。