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連載
「新 戦国太平記 信玄」
第二章 敢為果断(かんいかだん)10 海道龍一朗 Ryuichiro Kaitou

「御屋形様と晴信様では、御気性が違いすぎるからではないか。いや、その性向は正反対というべきかもしれぬ。直感で素早く行動なされる御屋形様にとっては、常に沈着冷静で考えを裡に秘める晴信様が逡巡(しゅんじゅん)ばかりしているように見え、癇(かん)に障るのやもしれぬ。あるいは……」
「あるいは?」
「それがしの邪推に過ぎぬかもしれぬが、御屋形様が晴信様の聡明さを怖れておられるようにも思える」
 昌俊の答えに、信方はさらに驚く。  
 ――こ、これは……まさに岐秀(ぎしゅう)禅師と同じ見立てではないか!?
「以前に、評定の席で晴信様と御屋形様が孫子(そんし)についての問答をなさったことがあったではないか。あの時、大方の者は晴信様の暗誦(あんしょう)に驚いていただけだが、御屋形様は違った。これまで出会うたことのない難敵を見るような畏怖が、瞳に浮かんでいたような気がしたのだ。『今ここで相手をねじ伏せ、風上に立っておかねば、いずれ厄介なことになる』さように直感なされたのではなかろうか。それがゆえに、むきになって晴信様の見解を叩き潰すような問答を始められたのではないか。この身には、さようにしか映らなかった。大人げないかもしれぬが、御屋形様も幼少の頃から武田家の内訌(ないこう)を目(ま)の当たりにし、身の危険を察知する力は並外れたものがおありになる。直感のままに動けることこそ、虎が虎たるゆえんなのであろう。御自分の立場を揺るがすほど優れた者に対しては、完全な服従を強いるか、御側(おそば)から放逐なさるかのいずれかしか許さぬ。それをわからずに諌言(かんげん)などに及び、処罰や追放をくらった重臣をどれだけ見てきたことか。身内ならば、なおさらのこと、意のままに動かさねば気が済まぬのではないか。晴信様は本能でそのことをわかっておられるがゆえに、御屋形様の前では必ず爪を隠し、気配を消しておられる。その所作がまた、癪(しゃく)に障るのやもしれぬが。そして、無能な家臣ほど、晴信様の振舞をただの卑屈と見誤ってしまう。そういうことではないのか」
「まったく驚いたの。そなたがこれほどきっぱり物申してくれるとは……」
「そうせよとけしかけたからではないか」
「いや、真摯な話が聞けてよかった。若の出来が良すぎるから、可愛げがなく思えるということか」
「まあ、有り躰(てい)に申せば、そういうことになる。お二人の間では、もっと根の深い問題であろうがな」
「昌俊、そなた、次郎様については、どう思うているのだ?」
「次郎様は愛嬌(あいきょう)があり、誰からも好かれる明るい御気性だ。それに器用で頭も良く、天賦(てんぷ)の才を感じさせる。晴信様とは、また別の煌(きら)めきを持っていると思う」
「より武田の惣領(そうりょう)にふさわしいと?」
「いや、それはまた別のこと。誰からも好かれるからといって惣領に向いているということにはならぬ。武門には長幼の序という厳然たる理(ことわり)があり、この身はそれを重んじるべきだと思うておる。どれほど粗探しをしてみても、晴信様に跡を嗣(つ)げぬという理由はなかろう」



 
〈プロフィール〉
海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう)
1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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