第四章 万死一生(ばんしいっしょう)3
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
御勅使川は巨摩(こま)山地を水源とする急流で、これが増水し、暴河(あばれがわ)の本流として釜無川と合流することで幾度となく氾濫を繰り返してきた。それは甲府盆地だけでなく新府を泥水で浸してしまうほどの水害だった。
問題は大雨で増水した御勅使川と釜無川が、竜王鼻の北側で一気に合流することである。
そして、もうひとつの伏兵が割羽沢川であり、これが御勅使川と合流することで氾濫に拍車をかけていた。
ちょうど晴信が代替わりを行う直前にも、大雨により竜王鼻から新府までが水浸しになる水害が起こっている。天文(てんぶん)十年(一五四一)の天災だった。
これにより甲斐は凶作に見舞われ、国内が大きく動揺する。この時、晴信は小県での合戦から外されていたこともあり、岐秀(ぎしゅう)元伯(げんぱく)の指導の下に暴河の氾濫を抑制すべく治水を学び始めたのである。
二人は「史記」書第七の河渠(かきょ)書を範とし、これに続く漢書を猟歩して黄河における治水の手法を研究した。さらに竜王村の石工で河川にも詳しい輿石(こしいし)市之丞を見つけ出し、実地検分をしながら策を練り上げる。
それがまとまったところで、築城や土木に詳しい新参の山本菅助を奉行に抜擢し、治水の事業に踏み切った。
その答えのひとつが、将棋頭と呼ばれる分流堤である。
だが、将棋頭だけですべてが解決するわけではなく、もうひとつの要点がそこに至る水流を制御する方法だった。
「将棋頭の完成は、よくやってくれた。して、霞(かすみ)堤はどうなっておる?」
晴信が問うた「霞堤」こそが、まさにもうひとつの要点だった。
「はい。それにつきましては、ふたつの将棋頭の手前から石積み出しを雁行(がんこう)の形に並べまして、
水の勢いを削いでおりまする。岐秀禅師が仰せになられたように、この石積みが霞堤として働くと信じておりまする」
「さようか」
晴信は満足げに頷(うなず)く。
岸から河中に向かって何本もの石積み出しを並べるのが「霞堤」と呼ばれる石積の堤防だった。これを雁行状に配置することで、将棋頭にぶつかる水勢を事前に調整するのである。
「では、将棋頭と霞堤により、御勅使川の本流は北東へ押し上げられるのだな?」
「はい。増水の季節にならねば定かにはなりませぬが、おそらく御勅使川の本流は北東へ押し上げられ、勢いが削がれたところで釜無川と合流するはずにござりまする。その場所こそが、まさに竜王鼻の高岩。水塊は砕け、釜無川の流れを上流へと押し戻す働きをいたすかと」
菅助はまるでその様を見ているかのように語る。
「ならば、あとは竜王鼻の下流に大聖牛(だいせいぎゅう)を放つだけか」
晴信の言葉を聞き、信方が眉をひそめる。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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