連載
「新 戦国太平記 信玄」
第一章 初陣立志14 海道龍一朗 Ryuichiro Kaitou

 それを見た家宰(かさい)の荻原(おぎわら)昌勝(まさかつ)が息子の虎重(とらしげ)に命じる。
「晴信様が参上なされましたと、御屋形様にお伝えせよ」
「承知いたしました」
 近習頭の荻原虎重は素早く立ち上がり、主君を呼びに行った。
 しばらくして、太刀持ちの小姓に続き、信虎が大股で現れる。
 その様子を見て、信方は小さくを息を呑む。主君の足取りが定かではなく、したたかに酔っているように思えたからである。
 ――お待ちになられている間、だいぶ御酒を召し上がられてしまったようだ……。
 信虎はどかりと大上座に腰を下ろし、酔眼で平伏している晴信を見つめる。それから、脇息(きょうそく)に凭(もた)れかかり、一同を睨(ね)め回す。
「おい、どうした、皆。せっかく出来の良い倅(せがれ)が勝ち戦の報告へ参ったというのに、いったい何事であるか、その仏頂面は?」
 主君の言葉に、重臣たちは一斉に口唇を結び、俯き加減になる。まるで奇禍(きか)を避けようとするような仕草だった。
「ははん、かの城攻めは、いわば抜駆けのようなものだと怒っておるのだな?」
 口唇の端に皮肉な笑みを浮かべ、信虎は脇に控えている荻原虎重に右手を差し出す。近習頭は無言で大盃を渡し、瓶子(へいじ)から酒を注いだ。
 それを一気に吞み干してから、信虎が再び口を開く。
「まあ、よい。皆の意見については、おいおい聞くとして、勝千代(かつちよ)、まずは子細を報告せよ」
「はっ。懼れながら申し上げまする……」
 晴信は緊張した面持ちで報告を始める。
「……御屋形様が退陣なされましてから数刻を経た後に、敵方がわれらの撤退を知って城内で酒盛りを始めたという一報がもたらされました。敵の城兵も千には満たず、その多くが包囲が解けたことに安堵(あんど)し、隙だらけになっているとのこと。そこで、何とか殿軍だけで城攻めができぬかと考えまして評定を開きました」
 報告を聞きながら、信方は思わず声を出しそうになってしまう。
 ――しまった!……城攻めが敵の追撃に端を発した反転攻勢であったという筋書を、若に含んでいただくことを忘れていた。われらが自ら策を進めたという話になれば、必ず抜駆けだとか、独断専行だという追咎(ついきゅう)の矛先が向けられる。それを躱(かわ)すための筋書を用意していたのに……。手抜かりであった……。
 信方の心配をよそに、晴信は実際に行った事柄を丁寧に報告していく。
 重臣たちは一言も聞き漏らすまいと前のめりになり、信虎は憮然(ぶぜん)とした表情で盃を傾けている。
 晴信は顔を紅潮させながら、懸命に城攻めの一部始終を語り終えた。 
「……運良く城を落とせたとはいえ、敵将を生け捕りにできなかったことを後悔しておりまする。加えて、瞬時の判断が求められたとはいえ、殿軍の帷幄(いあく)だけで勝手に籌策(ちゅうさく)を巡らしましたことを、心よりお詫び申し上げまする」
 両手をつき、晴信は深々と頭を下げる。
 その姿を、信虎は眼を細めて見据えた。無言で右手の盃を差し出し、荻原虎重に新たな一杯を注がせ、それをゆっくりと吞み干してから言葉を発する。
「瞬時の籌策とな……」
 籌策とは、謀計(はかりごと)のことだった。

 


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〈プロフィール〉
海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう)
1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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