連載
「新 戦国太平記 信玄」
第一章 初陣立志14 海道龍一朗 Ryuichiro Kaitou

「長きにわたる滞陣が報われる? 南牧と若神子の往復にかかる時を惜しむべき、だと?それらすべてを判断するのは、総大将の役目ぞ。つまり、うぬは城も攻めずに撤退した総大将を無能と考えたわけだな。総大将の許しなく戦を進めるのは出過ぎた真似だと考える前に、抜駆けを決めたと。それが余に対する僭越(せんえつ)、侮辱になるとは思わなかったのか!」
「……申し訳ござりませぬ。仰せの通りにござりまする。……思慮が足りませなんだ」
「今の話で、皆もわかったであろう。こ奴は頭が廻(まわ)るように見せかけているが、肝心な処で廻っておらぬのだ。続けて、問うぞ。城を落とし、敵将の平賀を討ち取ったと聞いたが、こたびの出陣の意図は何だと考えていたのか?」
「……海ノ口城を攻めることかと」
「当たり前のことを申すな。海ノ口城へ出張ったのだから、海ノ口城を攻めるに決まっているではないか。余が訊ねているのは、なにゆえ海ノ口城であったのかということだ。総大将を僭越できるくらいなのだから、その真意もやすやすと看破できるはずだ」
 信虎は右手を差し出しながら訊く。
 荻原虎重がその手に新たな盃を握らせ、酒を注いだ。
 晴信は再び黙り込む。
 出陣の前、信虎は評定の席でこう言っていた。
『相手は平賀成頼(しげより)だ。あ奴は余に逆らって敗れた大井の一門を出奔したくせに、最近では埴科(はにしな)の村上(むらかみ)義清(よしきよ)とやらを後盾にし、調子づいて海ノ口城まで出てきたらしい。黙って平賀で燻(くすぶ)っておればよいものを、わざわざ虎の尾を踏みにきよったゆえ、余に逆らうたことを骨の髄から思い出させてやらねばなるまい。海ノ口城を落とした後に平賀城まで出て、佐久(さく)を押さえるのも一興であろう』
 それが真意ならば、平賀玄心を成敗し、佐久を押さえるのが目的だということになる。
 しかし、佐久まで出張れば、その先で勢力を誇っている滋野(しげの)一統が出てくるのは必定であり、平賀玄心と手を結んだ埴科の村上義清まで敵に回すことになり、いたずらに状況を混乱させるだけだった。
 そのような意味で、晴信はいまひとつ父の真意を摑めていなかった。
「どうした、また、だんまりか。まったく訳のわからぬ奴だ。こたびの出陣は、平賀の討伐が目的ではない。ましてや、うぬに初陣を飾らせるためでもなかった。さようなことは、どうでもよい。余が訊いているのは、海ノ口城攻めの先にある深慮遠謀のことだ。それを答えてみよ」
 盃を呷(あお)る信虎の手が止まらない。
 晴信の沈黙が続く間、荻原虎重によって何度も酒が注がれる。
「わからぬか。だから、口だけが達者で、肝心な処で頭が廻らぬと謗(そし)られるのだ」
 信虎は蔑んだ笑みを投げつけた。



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〈プロフィール〉
海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう)
1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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