「長きにわたる滞陣が報われる? 南牧と若神子の往復にかかる時を惜しむべき、だと?それらすべてを判断するのは、総大将の役目ぞ。つまり、うぬは城も攻めずに撤退した総大将を無能と考えたわけだな。総大将の許しなく戦を進めるのは出過ぎた真似だと考える前に、抜駆けを決めたと。それが余に対する僭越(せんえつ)、侮辱になるとは思わなかったのか!」 「……申し訳ござりませぬ。仰せの通りにござりまする。……思慮が足りませなんだ」 「今の話で、皆もわかったであろう。こ奴は頭が廻(まわ)るように見せかけているが、肝心な処で廻っておらぬのだ。続けて、問うぞ。城を落とし、敵将の平賀を討ち取ったと聞いたが、こたびの出陣の意図は何だと考えていたのか?」 「……海ノ口城を攻めることかと」 「当たり前のことを申すな。海ノ口城へ出張ったのだから、海ノ口城を攻めるに決まっているではないか。余が訊ねているのは、なにゆえ海ノ口城であったのかということだ。総大将を僭越できるくらいなのだから、その真意もやすやすと看破できるはずだ」 信虎は右手を差し出しながら訊く。 荻原虎重がその手に新たな盃を握らせ、酒を注いだ。 晴信は再び黙り込む。 出陣の前、信虎は評定の席でこう言っていた。 『相手は平賀成頼(しげより)だ。あ奴は余に逆らって敗れた大井の一門を出奔したくせに、最近では埴科(はにしな)の村上(むらかみ)義清(よしきよ)とやらを後盾にし、調子づいて海ノ口城まで出てきたらしい。黙って平賀で燻(くすぶ)っておればよいものを、わざわざ虎の尾を踏みにきよったゆえ、余に逆らうたことを骨の髄から思い出させてやらねばなるまい。海ノ口城を落とした後に平賀城まで出て、佐久(さく)を押さえるのも一興であろう』 それが真意ならば、平賀玄心を成敗し、佐久を押さえるのが目的だということになる。 しかし、佐久まで出張れば、その先で勢力を誇っている滋野(しげの)一統が出てくるのは必定であり、平賀玄心と手を結んだ埴科の村上義清まで敵に回すことになり、いたずらに状況を混乱させるだけだった。 そのような意味で、晴信はいまひとつ父の真意を摑めていなかった。 「どうした、また、だんまりか。まったく訳のわからぬ奴だ。こたびの出陣は、平賀の討伐が目的ではない。ましてや、うぬに初陣を飾らせるためでもなかった。さようなことは、どうでもよい。余が訊いているのは、海ノ口城攻めの先にある深慮遠謀のことだ。それを答えてみよ」 盃を呷(あお)る信虎の手が止まらない。 晴信の沈黙が続く間、荻原虎重によって何度も酒が注がれる。 「わからぬか。だから、口だけが達者で、肝心な処で頭が廻らぬと謗(そし)られるのだ」 信虎は蔑んだ笑みを投げつけた。