そこへ藤乃が戻ってきた。 「お前様、こちらにござりまする」 「ああ、わかった」 信方は差し出された書状を手に取り、心して開封する。折り畳まれた書状を広げながら、素早く眼を走らせた。 ――こ、これは……。 文面半ばまで読み進んだところで、信方は手を止めて書状を閉じる。 「……どうやら、そなたの申す通り、問い合わせへの返答のようだ。ご苦労であったな」 信方は素っ気ない口調で言う。 しかし、藤乃は夫の動揺を見逃していなかった。 ――文面半ばで顔色が変わったということは、大変な内容なのでは? そうは思ったが、何事もなかったように答える。 「では、失礼いたしまする。音読は気にしませぬゆえ、どうぞ高らかに」 「からこうておるのか」 「いいえ、お経が聞こえてくるよりは、ましにござりまする」 藤乃は微(かす)かな笑みを含んで言った。 「……わかったよ。歌会では自作の和歌を読み上げることもあるらしい。せいぜい気張って稽古しておくよ」 信方は苦笑しながら頭を搔く。 「では、ごゆるりと。お腹が空きましたら、お呼びくださりませ」 藤乃は室を出て、音もなく襖戸を閉める。 信方は耳をそばだて、足袋(たび)の擦れる音が遠ざかるのを確かめた。 完全にそれが消えてから、再び立花からの書状を開く。今度はゆっくりと内容を熟読し、読み終えると大きな溜息をついた。 ――あらかたのことを予想し、覚悟はしていたが、それらを遥かに上回る事柄が書かれている……。 そこには朝霧姫が輿入れしてから死に至るまでの経緯が詳細に記されていた。 信方はおろか、晴信でさえ知らないであろう驚愕(きょうがく)の事柄が多く、文面から立花の苦渋が滲み出ている。 ――あの侍女頭が長らく返答を保留してきたことに合点がいった。これが事実ならば、あまりに酷(むご)い……。 眼を瞑(つぶ)って頭を振り、おぞましい空想を振り払おうとした。 ――立花殿の話が半分だとしても、若はもちろんのこと、まだ誰にも話すことができぬ。とりあえずは、わが懐中に秘匿しておくしかあるまい。 大きく息を吐き、信方は眼を見開く。 気を取り直し、嫌な考えに囚われないよう、声を張って古今集を音読し始めた。