――どうやら、若は口が辛くなっただけでなく、自立の心が芽生えてきたようだ。もはや、御屋形様に怯え、顔色を窺(うかが)っては俯くだけではなくなった。このまま己なりの考えで己なりの答えを求め、己なりの選択をしてゆけばいい。この身はそれに付き従うだけ。 主の成長を見て取った傅役は、悟られぬように微笑んだ。 この後、常磐の一行は信方の接遇で屋敷を見て廻り、慶子姫の住まいとなる処を入念に検分する。それから、躑躅ヶ崎館を出て、新府の要所を見て廻った。 何度か大井の方や妹、藤乃などを交えた夕餉(ゆうげ)の会も開かれ、和やかな時が過ごされる。侍女頭の常磐は行き届いた接待に満足し、晴信と信方へ厚く礼を言い、京の都へ戻っていった。 その間、冷泉為和の歌会も開催され、躑躅ヶ崎館は大いに盛り上がる。予習のかいあってか、晴信と信方も粗相なく作詠をこなした。 晴信は転法輪三条慶子から贈られた道具を持ち込み、冷泉為和を唸らせ、趣味の良さを称えられる。さっそく伴侶となる相手から面目を施された。 為和の歌披講に始まり、屏風歌などの題詠、七番勝負の歌合と続き、歌会はひと月にも及ぶ。毎夜にわたり竟宴(きょうえん)の酒盛りも開かれ、すべて大盛況のうちに終わった。 冷泉為和も甲斐への下向を存分に楽しみ、溢れんばかりの謝礼の品と束脩(そくしゅう)を携え、ほくほくの顔で京へ帰っていく。 催し物が一段落し、新府は再び落ち着きを取り戻した。 そして、転法輪三条慶子の輿入れを目前に控えた霜月の末を迎える。京から牛車や塗輿を連ねて出立した一行は、今川家の嚮導(きょうどう)と護衛で東海道を使い、まずは駿府を目指すことになった。 今川館でしばしの休息を取った後、一行は身延(みのぶ)道(駿州往還)を使い、甲斐へ入る予定になっていた。 信方は万沢(まんざわ)でこれを出迎え、以後の警固を今川家から引き渡される。駿河(するが)と甲斐の国境で、覚えのある傅役の顔を見た常磐は安堵の息を漏らす。 「お出迎え、有り難うござりまする」 「遠路旁々(かたがた)、ご足労様にござりまする。常磐殿、姫様はご息災にござりまするか?」 信方は御寮人の体調を気遣う。 「はい、長旅ゆえ少々お疲れではありますが、御機嫌は麗しゅうござりまする。今川治部大輔(じぶのたゆう)殿と嫁がれた御姉上の恵姫(けいひめ)様にも駿府でお会いでき、喜んでおりました」 「さようにござるか。恵姫様も息災でありましたか?」 「はい、お元気そうでありました」 「それは何よりだ。常磐殿、ここからは山道が続きますゆえ、姫様には牛車から塗輿へお乗り換えいただいた方がよろしいかと存じまする。峠を越え、新府の入口が見えてまいりましたならば、再び牛車にお乗りいただけばよいのでは」 信方は京の御寮人らしく牛車に乗ってきた慶子を楽にするよう提案した。 「細やかなお気遣い、重ねて有り難うござりまする」 「お軆(からだ)に障らぬよう、ゆるりとまいりましょう。この辺りはすでに武田家の領分であり、警固も完璧にござりまする。ご安心くだされ」 「よろしくお願いいたしまする」 常磐は笑みを含んで頭を下げた。 転法輪三条慶子の一行は万沢を出立し、万沢から十九里(七十六`)の行程で新府を目指す。途中、身延宿の久遠寺(くおんじ)で一泊し、翌日には鰍沢口(かじかざわぐち)から新府へ入ると至る処で門火(かどび)が焚かれ、御寮人の輿入れを歓迎していた。 鰍沢口で再び牛車に乗り換えた慶子は、しずしずと躑躅ヶ崎へ到着した。