連載
「新 戦国太平記 信玄」
第二章 敢為果断(かんいかだん)4 海道龍一朗 Ryuichiro Kaitou

 常磐はじっとその顔を見つめる。それから、再び両手をついて平伏した。
「有り難き御言葉を頂戴いたしました。そのまま、お伝えさせていただきまする。慶子様におかれましては、甲斐へお輿入れなさることを愉しみになされており、連日、武門の仕来りや所作などを一生懸命に学ばれておりまする。初めて参られる処ゆえ、至らぬこともあるかと存じますが、どうか末永く、仲むつまじく、おわされますよう御願い申し上げまする」
「こちらこそ、よろしくお願いいたしまする。重ねて、慶子殿にお会いする日が待ち遠しいとお伝えくだされ」
「謹んで承りまする」
「ときに常磐殿。何か甲斐で気になることはなかろうか?」
 晴信の問いに、侍女頭は即答する。
「この機会に、お屋敷の様子など拝見させていただければ幸いにござりまする。特に、湯殿や御寝所などを」
「なるほど。であらば、ここにいるそれがしの傅役、板垣(いたがき)信方に何なりと申してくだされ」
 その言葉を聞き、思わず信方が横目で睨む。
 ――い、いきなり侍女頭の接遇役などとは……。聞いておらぬ!
「有り難うござりまする。板垣殿、よろしくお願いいたしまする」
 常磐が有無を言わせぬ仕草で頭を下げる。
「こちらこそ。何なりと、申されよ」
 信方が胸を反らして受け答えた。
「常磐殿、長旅にてお疲れであろうから、まずは宿所にて少し休まれてはどうだろうか」
 晴信が一息入れることを提案する。
「御言葉に甘えさせていただきまする」
 常磐も快諾し、侍女の一行は近習に案内されて宿所へ向かった。
 その後姿が見えなくなったことを確かめてから、晴信は胡座(あぐら)をかき直し、大きく伸びをする。
「はあぁ、緊張した。一挙手一投足を値踏みされているようで息が詰まるかと思うたぞ」
「緊張していたのは、若だけではありますまい。常磐殿も侍女たちも相当にしゃちほこばっておりましたぞ」
「まことに?」
「ええ、進物を差し出した侍女の指先が震えておりました。笛を差し出す時の常磐殿も同様。少し手元がおぼつかないように見えましたが」
「板垣、そなたはさような処ばかり見ていたのか」
「まあ、それが役目にござりますれば」
「慌てるこの身を見て、心中でほくそ笑んでいたのか?」
「滅相もござりませぬ。余計なことを申せば差出口(さしいでぐち)になりますゆえ、控えさせていただきました」
 信方は半笑いで両手を振る。
「まったく意地が悪いな」
 晴信はとぼけた傅役を睨む。

 


 
〈プロフィール〉
海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう)
1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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