これを作っていた李廷珪は、唐の国が滅んだ五代十国の頃に南唐で墨務官として重用され、その卓越した製墨法によって南唐後主の李U(りいく)から高貴な「李」の姓と「李墨」の称号を授かった人である。 やがて、宋国が中華を統一し、明国がそれに成りかわった後も極上の墨であり続け、日の本で入手するのは非常に難しかった。 大鷹の檀紙とは山錦木(やまにしきぎ)を材料とした大判の紙だが、この木は檀弓(まゆみ)とも呼ばれ、武門においては真弓に通じる縁起の良いものとされた。 鳥之子紙も上質の和紙の総称だが、当世においては越前で漉いたものが「肌滑らかにして書きやすく、性堅くして久しきに耐え、紙王というべきか」と賞賛されている。 すべてにおいて行き届いた精選品だった。 口上に圧倒された晴信は、最後に残った銀色の小道具を持ち上げる。 「か、かたじけなし。……ところで、この簪(かんざし)のような道具は何であろうか?」 「それは鶯にござりまする」 「うぐいす?」 「はい。実は香道にて使われる銀の小道具にござりまする。使用済みの本香包をこの鶯で畳に刺しておき、出香の記録を書くときなどに役立てまする。されど、良い歌ができた時など檀紙に認め、鶯で止めて眺めるという使い方も風流にござりましょう。慶子様の、ちょっとした遊び心かと」 「ほう、香道に使われるものと」 銀の鶯を物珍しげに眺め廻す。 「最後に、こちらをお収めいただけますでしょうか 常磐は懐中から取り出した細長い錦袋を掲げ、晴信に躙(にじ)り寄る。 「これは……笛であろうか?」 晴信は受けとった錦袋の紐を解きながら訊く。 「はい。さようにござりまする」 「転法輪三条家は、笛と装束を家業になされていると聞きましたが」 袋から取り出した見事な燻煙(くんえん)の笛を眺めながら言う。 「覚えめでたく、有り難き仕合わせにござりまする。幼き頃より笛の修練をなさってきた慶子様が自ら音色を確かめて晴信様のために選ばれた一本にござりまする。真の音色が出ますれば、それが慶子様の魂魄(こんぱく)に最も近き震えではないかと」 常磐が「慶子様が自ら音色を確かめて」と言うからには、その口唇が笛に触れている筈だった。 そう思うと見事な笛が、何やら艶(なま)めかしく見えてくる。 「魂魄の震え……。そうと聞けば、真の音色が出るよう修練してみたくなる。されど、独学では無理であろうから、慶子殿には是非に笛を教えてくだされとお伝え願えぬか」 晴信は何の外連(けれん)もなく言った。