暦が九月になり、武田家は晴信の婚姻を進めるべく、仲介の労を取ってくれた今川家に京への結納の品を委託し、義元への謝礼も送る。これをもって転法輪三条家との正式な縁組が決まり、晴信の屋敷に急ぎ寝所の増築が行われた。 そして、来たるべき歌会に備えて躑躅ヶ崎(つつじがさき)館も大わらわとなる中、歌指南の冷泉(れいぜい)為和(ためかず)は十月朔日(ついたち)に駿府(すんぷ)を出立し、三日に甲斐の新府へと到着する。 武田家は総出でこれを歓迎し、一行のなかには転法輪三条家の侍女頭以下数名の女人が加わっていた。 酒宴が開かれる前に、侍女頭をはじめとする女人の一団が信虎に拝謁した後、晴信の処(ところ)にも挨拶に訪れる。 「わたくしは転法輪三条慶子(けいし)様の侍女頭を務めさせていただいております常磐(ときわ)と申しまする。本日は武田、源の晴信様の御尊顔を拝する機会をいただき、まことに恐悦至極にござりまする。以後、お見知りおきのほど、よろしくお願い申し上げまする」 侍女頭の常磐を筆頭に、三人の侍女が両手をついて深々と頭を下げた。 その様子に、晴信は思わず傅役の顔を見る。侍女頭が京言葉ではなく、普通に武門の女人の如き口調で挨拶をしたため、少し驚いたのである。 ――若、お顔をお上げくだされ、と仰せに……。 そう言いたげな顔で、信方が手を上に振って合図する。 「……ご、ご丁寧な挨拶、まことに痛み入りまする。どうぞ、お顔をお上げくだされ」 晴信は困ったような笑顔で言った。 「有り難き仕合わせにござりまする」 常磐がゆっくりと顔を上げ、後方の女人たちもそれにならう。 いずれも化粧(けわい)のいきとどいた麗顔であり、衣裳も艶(あで)やかだった。 特に、侍女頭の常磐は所作も優美で、若い頃はさぞかし美しかったのだろうという顔立ちをしている。そこに貫禄が備わり、独特の気配を醸し出していた。 「先日は大層な結納の品をいただき、慶子様だけでなく、御父上の公頼様もたいへんお喜びでありました。まことに有り難うござりました。主(あるじ)に成りかわり、御礼申し上げまする」 「お気に召したならば……幸いにござる」 「返礼といたしまして、慶子様より晴信様への御進物をお持ちいたしました。心ばかりの品ゆえ、不調法があったならば御堪忍くださりませ、と主から言付かっておりまする。これ、滝山(たきやま)。御進物を晴信様へ」 常磐の言葉に従い、後ろに控えていた侍女の滝山が錦袋の包みを恭(うやうや)しく晴信の前に置く。 「失礼いたしまする」 脇に控えていた信方がその贈り物を受け取り、晴信に渡す。