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連載
「新 戦国太平記 信玄」
第二章 敢為果断(かんいかだん)18 海道龍一朗 Ryuichiro Kaitou

「されど、御屋形(おやかた)様は他家の理想に寄り添っていくような御方ではありませぬ。そちらは御屋形様の御気性を承知の上で、武田と盟約を結ばれたのではありませぬか」
「なるほど、仰(おっしゃ)る通り。当家にとっても、それが少々悩みの種にござりまする。されど、われらには今の信虎殿が以前と同じであるとも見えておりませぬ」
「それは、いかなる意味にござるか?」
 信方が少し怒ったような口調で訊く。
「先日の御酒の召し上がり方を見ても、以前のような御様子ではなく、最後はお話もよくわからぬものとなっておりました。酔いにまかせて感情だけが迸(ほとばし)り、御自分の言いたいことだけを述べられ、われらの話は聞こうともなさりませんでした。ご無礼を承知で申し上げるならば、少々、爛酔放吟(らんすいほうぎん)が過ぎるのでは、と。近頃は普段から、あのように激しい召し上がり方を?」
 雪斎の問いに、信方は思わず黙り込む。
 爛酔放吟。いわば、酒乱の気が見えるような吞み方という意味である。 
 ――確かに、最近の御屋形様は評定の場でさえも酒気を帯びておられ、素面(しらふ)でおられることの方が珍しい。それを見透かされてしまったというのか……。
 返答を失った信方に、雪斎が助け舟を出す。
「まあ、上戸(じょうご)は武士の嗜(たしな)みとも申しますゆえ、他家の御主君の御酒の召し上がり方まで云々(うんぬん)するつもりはありませぬ。されど、当家がまことに困っているのは、こたびの築城のお話の如く、度重なる軍資や兵粮(ひょうろう)の無心にござりまする。これは、ふたつめの理由とも重なってまいりまする。信虎殿は版図(はんと)を広げれば年貢も増え、借財などすぐに返せると仰せになるが、これまでお返しいただいたことはありませぬ。わが主は娘婿であるという立場上、一度もお断りしたことはござりませぬが、今は領内においても不作が続き、われらも窮しておりまする。家中にも厳しい節約を申し付けており、これ以上、他家へお貸しできる兵粮や資財を捻出する余裕はありませぬ。武田家は、それほど切羽詰まっておられるのでしょうか?」
 またしても厳しい問いかけだった。
「……荒天や日照りに加え、ひどい水害にみまわれ、おそらく、近隣の諸国のなかで最も苛酷(かこく)な飢饉(ききん)に直面しているのではないかと」
「なるほど、大飢饉に襲われていると。ならば、築城などは先延ばしになされるのが肝要なのでは?」
「それはその通りなのだが……」
「信虎殿は一度言い出したならば、決して他言に耳をお貸しにならぬと?」
「……ええ、まあ」
「板垣殿、当家には諸国を巡行している商人などがおり、それらの者の話によりますれば、甲斐では合戦のための徴発により、種籾(たねもみ)までを召し上げられた領民の間に怨嗟(えんさ)の声が広がり、土一揆(つちいっき)が起きかねぬのではないか、と聞いておりまする」
 雪斎の言葉を聞き、信方は竜王鼻(りゅうおうばな)で出会った異形の歩荷(ぼっか)を思い出す。



 
〈プロフィール〉
海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう)
1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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