「また、困窮の折の出陣により、多くの将兵が兵粮を自前で用意せねばならず、少なからず不満が募っているとも。加えて、こたびのお話のように、どうも家中の意思統一がなされておらぬように見えまする。たとえ、当家が築城のための資財を無理に捻出し、そちらへお貸ししたとしても、それで盟友の領国に内訌(ないこう)の争いなどが起きてはいたたまれませぬ。それゆえ、こたびのご滞在の間に、今は合戦や築城などをお控えになり、領国経営の立て直しをなさるべきだと、信虎殿を説得申し上げるつもりにござりまする。そのためのご協力ならば惜しまぬと、わが主も申しておりまする。もちろん、晴信殿の御廃嫡などもなさるべきではないという当家の考えも、やんわりとお伝えしたい。それに加え、家中の気運も高めていただかなければなりませぬ。そのために、こうして出かけてまいりました」 一連の話で、雪斎が深く武田家の事情に通じていることはわかった。 しかも、それは何ひとつ的外れではない。 ――おそらく、先日の歩荷のような者を使い、緻密(ちみつ)な諜知(ちょうち)を行っているのであろう。敵国ならばまだしも、盟友の内情にまでこれだけ関心を払っているとは、この漢、やはり侮れぬ。 「雪斎殿、そなたのお話で理由はよくわかりました」 「いや、板垣殿。まだお伝えしておきたい理由、とっておきのお話がありまする」 「えっ、まだ他にも!?」 「ただし、ここだけの話ということで他言無用に願いたい」 「……わかり申した」 「実は、隣国の相模(さがみ)でも色々なことが起こっておりまする。武田家との盟約締結に際し、北条(ほうじょう)家とはいったん断交の状態となりましたが、当家としては先代の宗瑞(そうずい)殿とのご縁も含め、いずれは元の鞘(さや)に戻れると考えておりまする。当代の氏綱(うじつな)殿としては、これまで武田家との戦いの矢面(やおもて)に立ってきただけに、われらの同盟になかなか得心(とくしん)できぬというのもわからぬでもありませぬ。されど、転機は確実に近づいておりまする」 雪斎が北条家について語り始めたことで、信方に緊張が走る。 「どうやら氏綱殿が病の床に臥(ふ)し、お加減が相当によろしくないと聞いておりまする。戦(いくさ)続きで数年前から体調を乱し、嫡男の氏康(うじやす)殿に家督を譲る支度をしていたとも。今の北条家は河東(かとう)における当家との睨(にら)み合いに加え、安房(あわ)の里見(さとみ)、武蔵(むさし)の扇谷上杉(おうぎがやつうえすぎ)、関東管領(かんれい)の山内上杉(やまのうちうえすぎ)と干戈(かんか)を交えており、背腹に敵を抱え、身動きが取れぬ状態になっているはず。そこにきて惣領が病臥(びょうが)したとあっては、存亡の危機に陥ることさえあり得まする。そうした事柄を鑑み、当家としては北条家との和睦を見据えているところ。先方としても、一番手を結びやすいのは当家であり、しかも武田家との盟約があることを考えれば、和睦さえ成立すれば、おのずと敵は東側だけに絞られることになりまする。さすれば、河東の遺恨など大したことではありますまい」 駿河の今川家だけが知り得る重要な秘密を、雪斎は惜しみなく明かしていた。