連載
「新 戦国太平記 信玄」
第二章 敢為果断(かんいかだん)18 海道龍一朗 Ryuichiro Kaitou

「また、困窮の折の出陣により、多くの将兵が兵粮を自前で用意せねばならず、少なからず不満が募っているとも。加えて、こたびのお話のように、どうも家中の意思統一がなされておらぬように見えまする。たとえ、当家が築城のための資財を無理に捻出し、そちらへお貸ししたとしても、それで盟友の領国に内訌(ないこう)の争いなどが起きてはいたたまれませぬ。それゆえ、こたびのご滞在の間に、今は合戦や築城などをお控えになり、領国経営の立て直しをなさるべきだと、信虎殿を説得申し上げるつもりにござりまする。そのためのご協力ならば惜しまぬと、わが主も申しておりまする。もちろん、晴信殿の御廃嫡などもなさるべきではないという当家の考えも、やんわりとお伝えしたい。それに加え、家中の気運も高めていただかなければなりませぬ。そのために、こうして出かけてまいりました」
 一連の話で、雪斎が深く武田家の事情に通じていることはわかった。
 しかも、それは何ひとつ的外れではない。
 ――おそらく、先日の歩荷のような者を使い、緻密(ちみつ)な諜知(ちょうち)を行っているのであろう。敵国ならばまだしも、盟友の内情にまでこれだけ関心を払っているとは、この漢、やはり侮れぬ。
「雪斎殿、そなたのお話で理由はよくわかりました」
「いや、板垣殿。まだお伝えしておきたい理由、とっておきのお話がありまする」
「えっ、まだ他にも!?」
「ただし、ここだけの話ということで他言無用に願いたい」
「……わかり申した」
「実は、隣国の相模(さがみ)でも色々なことが起こっておりまする。武田家との盟約締結に際し、北条(ほうじょう)家とはいったん断交の状態となりましたが、当家としては先代の宗瑞(そうずい)殿とのご縁も含め、いずれは元の鞘(さや)に戻れると考えておりまする。当代の氏綱(うじつな)殿としては、これまで武田家との戦いの矢面(やおもて)に立ってきただけに、われらの同盟になかなか得心(とくしん)できぬというのもわからぬでもありませぬ。されど、転機は確実に近づいておりまする」
 雪斎が北条家について語り始めたことで、信方に緊張が走る。
「どうやら氏綱殿が病の床に臥(ふ)し、お加減が相当によろしくないと聞いておりまする。戦(いくさ)続きで数年前から体調を乱し、嫡男の氏康(うじやす)殿に家督を譲る支度をしていたとも。今の北条家は河東(かとう)における当家との睨(にら)み合いに加え、安房(あわ)の里見(さとみ)、武蔵(むさし)の扇谷上杉(おうぎがやつうえすぎ)、関東管領(かんれい)の山内上杉(やまのうちうえすぎ)と干戈(かんか)を交えており、背腹に敵を抱え、身動きが取れぬ状態になっているはず。そこにきて惣領が病臥(びょうが)したとあっては、存亡の危機に陥ることさえあり得まする。そうした事柄を鑑み、当家としては北条家との和睦を見据えているところ。先方としても、一番手を結びやすいのは当家であり、しかも武田家との盟約があることを考えれば、和睦さえ成立すれば、おのずと敵は東側だけに絞られることになりまする。さすれば、河東の遺恨など大したことではありますまい」
 駿河の今川家だけが知り得る重要な秘密を、雪斎は惜しみなく明かしていた。



 
〈プロフィール〉
海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう)
1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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