「今川家が再び北条家と手を携えた暁(あかつき)には、当家との和睦を仲介したいということにござりまするか?」 「もちろん、それもやぶさかではありませぬ。されど、わが主はもっと先のことを見据えておりまする。去る天文(てんぶん)七年(一五三八)に、北条家は小弓公方(おゆみくぼう)の足利(あしかが)義明(よしあき)殿と安房の里見義堯(よしたか)らの軍勢に打ち勝ち、武蔵の南部から下総(しもうさ)にかけて勢力を伸ばしました。されど、そのことが逆に重荷としてのしかかっておりまする。かつて氏綱殿に敗れたことのある扇谷上杉朝定(ともさだ)殿が、関東管領の山内上杉憲政(のりまさ)殿と手を結び、安房の里見も交えて反攻の機会を窺(うかが)っておりまする。しかも、武田家は山内上杉家とも旧知の仲であり、それを通じて当家までが関東管領殿に与(くみ)した場合、北条家は四方を敵に囲まれ、絶体絶命の危機に立たされるでありましょう。東からは扇谷と山内の上杉連合軍。西からは当家の軍勢。南からは相模湾を渡り里見の水軍。そして、北からは武田家の精鋭。一気に攻め寄せられたならば、北条家が滅びることさえありまする。これまで先々を見通してきた氏綱殿がその危険を見過ごすはずがなく、跡を嗣ぐ氏康殿のために、まずは今川家との関係修復を考えているのではありませぬか。その上で、武田家とも縁を繋(つな)いでほしいと願うはず。北条家の嫡男、氏康殿は本年で齢二十七になられ、わが主を間に挟めば、晴信殿とも、ごく近い世代ではありませぬか。もしも、われらが手を結べば、状況は完全に逆転いたしまする。北条家は上杉と里見だけを見据えて坂東(ばんどう)の戦いに専念でき、武田家は後顧の憂いなく信濃(しなの)へ北進できまする。もちろん、われらは旧敵、斯波(しば)家の残党がいる西側の戦いだけを考え、東海道を京へ向かってしか動きませぬ。しかも、それぞれの国が世代の近い若き惣領となれば、話も通しやすく、利害が一致していれば助け合うこともできましょう。早晩、北条家は当方に復縁を持ちかけてくると確信しておりまする。そうしたことを見越し、わが主は板垣(いたがき)殿にこたびの話を差し上げよと申しました」 雪斎は熱をこめて語りきる。 確かに、この軍師の言う通りだった。 ――しかも、この話には、坂東、東海、中部に広がる遠大な策が秘められている。それがうまくいけば、三家は互いの背を預け合いながら、眼前の戦いだけに集中できよう。つまり、三方が丸く収まる。この漢が北条氏綱の話を持ち出したということは、すでに回復しようのない病状となっており、近々、北条家の代替わりがあるということなのであろう。確かに、若い惣領が家中をまとめるためには、今川家との復縁は欠かせぬ。そうなれば雪斎殿が言う通り、今川家の今後にとっては絶妙の策であり、武田にとっても悪い話ではない。しかれども、当方の内実は理詰めで変えてゆけるほど簡単なものではなく、この話を預かっても、どうすべきなのか、まだわからぬ……。 しばし思案した後、信方が訊く。 「雪斎殿、そなたのお話は、よくわかりました。武田晴信の傅役(もりやく)として、これほど光栄な話はなく、御屋形様にお口添え願えるというのもありがたく思いまする。その上で、あえてお訊きしたい。なにゆえ、そこまで若を高く買うてくださるのか?」