十六 新府の一角で、寄合の場が白熱していた。 「皆、本日はよく集まってくれた。この寄合も回を重ねるごとに賛同してくれる者たちが増え、われらとしてもそろそろ本気で立ち上がらねばならぬと思うておる。これからもよろしく頼む」 青木(あおき)信種(のぶたね)は一同を見廻しながら駒井(こまい)信為(のぶため)に話を渡す。 「では、信為殿、あとはお願いいたす」 「承知いたしました。そもそも、われらがこの寄合を始めた契機は、青木義虎(よしとら)殿が逝去された後、急に土屋(つちや)昌遠(まさとお)殿をはじめとする柳沢(やなぎさわ)の枝連衆がわが物顔でのさばり始めたことにある。その増長ぶりはまるで土屋殿が武川(むかわ)十二騎衆の筆頭であるかのような振舞に現れており、まことに嘆かわしい。皆も存じている通り、武川十二騎衆の筆頭は青木家であり、義虎殿亡き後は当然のことながら、ここにおられる信種殿が嗣ぐべきものである。されど、土屋殿は年長であるというだけで御屋形様に取り入り、阿(おもね)りだけでその座を奪おうとしている。われらが寄合を始めたのは、まさにそのような状況に異を唱えるためであった。土屋殿の一派は御屋形様への媚(こ)びへつらいはうまくとも、前(さき)の戦のように下の者を犠牲にして身内だけで旨い汁を吸い、上に立つ者としての責任を果たそうとはせぬ。かの者がこのまま家宰(かさい)になるようでは、武田家が由々しき事態になることは眼に見えておる。それを回避するためにも、手をこまぬいているわけにはいかぬのだ。皆にこれを見てほしい」 駒井信為は愁訴状の束を取り出し、一同の前に差し出す。 「ここにあるのは、本年の年貢課役の免除と一国平均(へいぎん)の徳政を願う愁訴状に、郷の長(おさ)たちから嘆願の署名を集めたものである。もしも、その願いが叶(かな)わぬ場合、嗷訴(ごうそ)も辞さずという構えだ」 嗷訴とは元々、寺社の僧徒や神人(じにん)が朝廷もしくは幕府に対して仏力や神威を持った神木や神輿(みこし)を担ぎ出して抗議する行動のことである。 京や南都では興福寺(こうふくじ)、延暦寺(えんりゃくじ)の嗷訴が有名だが、当世になってからは諸国にも広まり、土豪や民衆の蜂起である土一揆のようなものも嗷訴と呼ばれるようになっていた。 「そんな嗷訴が一度始まってしまえば、甲斐の国内にはあっという間に武田家に対する叛旗が翻ってしまうであろう。おそらく、御屋形様の御顔色しか見ておらぬ土屋殿では、とうてい郷の長たちを鎮めることはできず、かえって反感を煽ることになる。されど、民の声を聞き、この愁訴状を集めたわれらならば、嗷訴を止めることができるはずだ。そのことを御屋形様に訴えたいというのが、本日の寄合の趣旨なのだ。ここまではよろしいか?」 駒井信為の問いに、一同は無言で頷く。 その末席に、気配を殺す飯富虎昌(とらまさ)の姿があった。 ――いよいよ力尽くの話になってきたな。これは駿河守(するがのかみ)殿にお伝えした方が良さそうだ。 虎昌は話を再開した駒井信為を注視する。