第四章 万死一生(ばんしいっしょう)19
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
敵兵の憎々しげな怒号が乱れ飛び、己の鼓膜へ突き刺さるような感覚に襲われる。
甘利虎泰の眼前では凶暴な槍穂が交錯し、軆(からだ)の至るところに激痛が走った。
それに耐えながら槍を振り回し、必死で囲みから逃れようとした。しかし、避けきれなかった敵の切先が頰をかすめ、肩口に突き刺さる。
敵の罵声は余りにも多く、そこはまさに憎悪が渦巻く死地の真っ只中だった。
周りでは、次々と配下の騎馬兵が馬の背から引き摺(ず)り下ろされ、敵足軽が群がる。助けたくても、助ける術(すべ)がなかった。
虎泰も数カ所に大きな傷を受けたようで、次第に痛みが激しくなってゆく。手綱をしごく左手が痺(しび)れ始め、槍を持つ右手が滑る。それが返り血のせいなのかさえも定かではない。
両手に余る敵を突き倒してもまだ、敵の囲みから抜け出せていなかった。
眼前に立ち塞がる三人の足軽を次々に倒し、最後の一撃を放ったと同時に、右手から槍の柄が滑り落ちる。
次の瞬間、やっとのことで視界が広がり、奮闘している初鹿野高利の足軽隊が見えてきた。
虎泰は己の背を追ってくる味方を確かめるために振り向く。
囲みを抜け出そうとしている配下の者はわずかに数十騎だった。
――やはり、さほど甘くはなかったか。倍以上の敵を相手に、敵中突破は無謀であった。皆、すまぬ。
それでも生き残った者たちを鼓舞するために叫ぶ。
「もう一息で抜けるぞ! 進めい!」
その刹那だった。
死角となった真横から、大柄な敵の足軽が飛びついてくる。胴に巻き付かれ、甘利虎泰はそのまま馬上から滑り落ちた。
「ぐわっ」
地面に軆を打ち付け、虎泰は苦悶の声を発する。
それでも、すばやく鎧通(よろいどお)しを抜き、組み付いた大柄な敵足軽の首に突き立てた。
「うぎゃあぁ」
おぞましい叫び声を上げ、太い首から夥しい血が噴き出し、それが虎泰の顔にもかかる。
辺りに血風が吹き荒れ、怒号が渦巻いていた。血の臭いに包まれ、すでに敵味方の判別もつき難くなっている。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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