第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)8
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
高梨政頼の苦言に、景虎は顔を歪(ゆが)めて黙り込む。
「景虎殿、いっそ、こちらからも調略を仕掛けてみてはどうか?」
「調略……。武田の将に対してでござるか?」
「いいや、まずは武田に与(くみ)する北信濃の国人衆(こくじんしゅう)にだ」
「……それがしにはさような伝手(つて)がありませぬ」
「ひとつ、宛がある。この飯山城から二里(八㌔)ほど東へ行った下高井(しもたかい)郡に日向(ひゅうが)城(毛見〈けみ〉城)があり、そこには武田へ寝返った市河(いちかわ)藤若(ふじわか/信房〈のぶふさ〉)という城主がおる。この市河の郎党は、木島平(きじまだいら)から北方の志久見郷(しくみごう/下水内〈しもみのち〉郡栄〈さかえ〉村)までを領してきた国人衆で、われらとも気脈が通じていた。されど、善光寺平に出張ってきた武田晴信の調略に応じ、早々に寝返った奴(やつ)ばらだ。かような状況になれば、日向城は近くにありすぎる敵城でしかない。この際、市河藤若に寝返りを持ちかけ、聞かぬようならば一気に攻めてしまえばよい。そなたが率いる越後の軍勢がいると知れば、藤若も帰順を考えると思うのだが」
「さように申されるのならば、叔父上にお任せいたしまする」
「わかった。それではすぐに日向城へ使者を送ろう」
高梨政頼は調略に動き始めた。
六月十一日に日向城へ使者が出され、市河藤若に越後への帰順が持ちかけられる。それに対し、藤若からは「真摯(しんし)に検討をいたす」という返答がなされた。
しかし、その実は時を稼ぐための方便に過ぎず、市河藤若は密かに尼巌城に使者を走らせ、越後からの調略の件を伝える。
それを受けた真田幸綱はすぐに深志(ふかし)城へ早馬を出し、足軽大将の原(はら)勝重(かつしげ/与左衛門尉〈よざえもんのじょう〉)を市河藤若の援軍として派遣した。
使番(つかいばん)の真田信綱(のぶつな)から一連の報告を聞いた後、晴信は援軍の北条勢と同道している嫡男の動きを確認する。
「義信はどこまで出張っているのか?」
「義信様と北条の援軍は、長尾景虎の本隊を追う形で川中島へ入られまして、只今は高井郡若穂(わかほ)の春山(はるやま)城下に陣取っておられまする」
真田信綱が答える。
「川中島にまで地黄八幡(じきはちまん)を連れ廻(まわ)したか……」
晴信は苦笑しながら言葉を続ける。
「市河藤若の援軍は勝重か?」
「さようにござりまする」
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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