よみもの・連載

信玄

第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)8

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

「さようか。こたびのことでわかったと思うが、景虎には拭いされぬ弱点がある。信繁、それはいかなるものだと思うか?」
「…………」
 信繁は思わず返答に詰まる。
 ――長尾景虎の拭いされぬ弱点……。兄上はそれを見抜いておられるのか。
「簡単な答えだ。我は依怙(えこ)にかられて弓箭(きゅうせん)を取らず。されど、筋目(すじめ)を持ってならば、何方(いずかた)へも与力(よりき)をいたす。かの者がこれまで巷(ちまた)へ流布してきた言葉だが、ここにすべてが集約されておる」
「……それがいかなる意味か、もう少しのご説明をお願いいたしまする」
「依怙にかられて弓箭を取らずとは、とどのつまり、戦に己の利害を持ち込まぬという意味であろう。それがそもそも間違っておる。戦いに己の利を持ち込まぬという考えこそが、何の労苦も知らぬ青臭き小童(こわっぱ)の発想に他ならず、片腹痛き綺麗事(きれいごと)なのだ」
 晴信は厳しい面持ちで言葉を続ける。
「戦というものは始めてしまえば、そこに必ずなんらかの利害がついて回る。それゆえ、主君たる者は軽々(けいけい)に戦を始められぬ。家臣や領民へ分け与えられる利を見越せぬ戦いなど、始めてはならぬと考えるからだ。味方に利を与えるのが戦の本質ならば、敵対する者には必ず害を与えるはずだ。その真実から眼を逸らさぬならば、敵にとっては己の筋目など何の意味もなさぬとわかるはずだ。違うか?」
「……その通りにござりまする」
「ゆえに、国を預かる者が戦に求める利とは、断じて私利ではない。あくまでも、戦いの後に領国の豊かな政(まつりごと)を行うための利である。それゆえ、きちんと利を量らぬ戦など、この身にとってはあり得ぬし、あくまで己のために命を賭してくれる者たちへ恩恵を与えるべく戦う。それを依怙の戦いと呼びたいのならば呼ぶがよい。景虎がほざく『己が体裁を繕うための大義』とやらよりも、余が家臣や領民に与える依怙がいかほど大きいかを、こたびの戦いで存分に教えてやったつもりだ。市河藤若が調略に応じなかった理由もな。景虎の弱点など、大げさに語るまでもない。あの者は信濃の城を奪っても、それを維持するだけの気概と胆力がない。政の展望もなければ、分け与えられる利も持たぬ。旭山城を見てみるがよい。あの小城を奪い、われらを蹴散らしたつもりでも、幾月か経(た)てば旭山城は武田のもとに戻ってくる。城を維持する力がないからだ。つまり、景虎は領国の版図(はんと)というものが己の脳裡(のうり)で描けておらぬのだ。本気でわれらに勝ちたいならば、数年は越後に戻らぬつもりで善光寺に留まるしかあるまい。さて、かの者にさような胆力と度胸があるかな?」

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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