よみもの・連載

信玄

第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)8

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

「さようだ。この城が落ちれば、自然と景虎の尻に火がつく。小谷城にいるのは昨年、昌景(まさかげ)に攻められて一夜山(ひとよやま)から遁走(とんそう)した小笠原(おがさわら)の残党、飯森(いいもり)盛春(もりはる)だ。そなたならば、造作もなかろう」
 晴信の言葉通り、現在の小谷城々主、飯森盛春は小笠原長時(ながとき)の属将であったため、そのまま長尾景虎の傘下に入っている。
 そして、ちょうど一年前、晴信の命令で飯富昌景が白馬(しろうま)村一帯を制覇するために飯森城(一夜山)へ攻め寄せた。
 武田勢の侵攻に対し、長尾景虎の傘下に入った飯森盛春は籠城で対抗すると思われたが、なんと一矢も報いず、一晩のうちに城を捨てて北側へ逃亡してしまった。
 そのことから飯森城は侮蔑をこめて一夜山と呼ばれた。
 あっさり本拠地を捨てた飯森盛春は、より越後に近い小谷城(平倉城)へ落ち延びたのである。
「ただし、信繁。こたびの城攻めの先鋒には、大熊朝秀と越中一向一揆(いっこういっき)の残党を使ってくれ。その意味は、わかっているな」
「もちろんにござりまする」
 信繁が頷く。
 ――確かに、越後勢から離反した大熊朝秀が武田勢と一緒に小谷城を奪ったと知れば、景虎は信濃に居座れなくなるはずだ。
 小谷城を拠点にすれば、越後の収入源である北塩の産出拠点、糸魚川に攻め入ることも容易である。これはまさに越後の本拠地である春日山城を脅かすことを意味している。
 しかも、糸魚川の西側はすぐに越中との国境であり、大熊朝秀を通じて未(いま)だに勢力を持つ一向一揆と連係することもできた。
 越後勢のいる飯山城から小谷城へ向かうには、野尻湖(のじりこ)を迂回(うかい)した後に難所である妙高戸隠連山を越えなければならなかった。そんな行軍では何日を費やすかもわからず、間違いなく救援は間に合わない。
 必然的に、景虎は春日山城へ戻った後に、対応を考えざるを得なくなる。
 ――よくよく考えれば、小谷城攻めは様々な狙いを秘めた一手ではないか。兄上は最初からこの策を見据え、深志城から動かなかったということか……。
 信繁の推察は的中していた。
「こたびの戦いで、大熊朝秀が武功を挙げることができたならば、褒美として正式に臣従を認め、小谷城を与えてもよいと思うておる。大熊朝秀にはその旨を伝えてあるゆえ、信繁、そなたはかの者どもを連れて出陣した後、飯森城にいる昌景と合流して一軍に加えよ。なるべく時をかけず、一気に城を落としてくれ」

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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