よみもの・連載

信玄

第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)8

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

「兵数は?」
「与左衛門尉殿の率いる足軽隊一千が中野から北志賀(きたしが)を抜け、敵に悟られぬよう日向城へ向かっておりまする」
「一千で足りなければ、義信が救援に向かうつもりか」
「兄上……」
 同席していた弟の信繁(のぶしげ)が口を挟む。
「……義信の救援は、少々深く敵の懐へ入り過ぎではありませぬか。しかも、北条勢を連れてとは」
「越後勢を追うことはかまわぬが、こたびは交戦するな、と義信に申し付けてある。されど、あ奴の気性からすれば、景虎の背後を脅かしたいと考えるやもしれぬな」
「勇足(いさみあし)にならねばよいが……」
 信繁が顔をしかめた。
 晴信は口唇の端に笑みを浮かべながら言う。
「信繁、これからは余がすべての下知を発するまで事が動かぬというのでは、甲斐(かい)と信濃にわたる広大な領地を統(す)べることができなくなる。つまり、それぞれの持場についた将が連係を取りながら、独自で判断せねばならぬ事柄が増えてくるということだ。とにかく実戦において経験を積み重ねていかねばならぬ。そうとなれば、多少の勇足も致し方あるまい。そして、信繁。そなたには、その先頭に立ってもらわねばならぬ」
「兄上……」
「義信はまだ若いゆえ血気盛んだが、勝敗を顧みずに敵へ突きかかるほど愚かではない。なによりも、あ奴は負けず嫌いだ。勝算が立たぬ間は、景虎と戦おうとはせぬであろう。隣に北条家随一の猛将がいるならば、なおさらのことだ」
「されど、兄上。北条の者を川中島まで招き入れ、われらの手の裡(うち)を見せてもよいのでありましょうか?」
「すでに信濃は当家が掌中に収めたと北条家にわからせておいた方がよい。信濃の制覇が終われば、次は西上野が草刈場となる。北条と分け合うにしても、邪魔をしてくるのは景虎と越後勢だ。実際に景虎を見た北条綱成が、氏康(うじやす)殿へ報告を上げることに意味がある。そのために援軍を願ったのだ」
「なるほど」
「ともあれ、尼巌城と塩田(しおだ)城の連係は必要だ。信綱」
「はっ!」
「そなたは帰りしなに塩田城へ寄り、兵部(ひょうぶ)に『もしも、市河藤若が危うくなったならば、今後は余の命を待たずに援兵を送ることを許す。真田と連係して決めよ』と伝えよ」

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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