第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)8
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
「おそらく、ありませぬ」
「であろうな。それゆえ、こたびは景虎が力を誇示するだけの戦いに乗らなかった。くだらぬ挑発にもな。結果として、あの愚昧者(おろかもの)は己の面目を立てるためだけに将兵を連れ回し、何の益もないまま、ただ兵粮を無駄に喰い潰した。それが景虎の申す筋目の合戦とやらの正体だ」
晴信の激烈な言葉を聞き、信繁は奥歯を嚙みしめる。
「景虎が己の依怙を捨てる者ならば、余は主君としての依怙だけを信じ、弓箭を取る者であり続けようではないか。治罰の御綸旨(ごりんじ)だ、筋目だとほざきながら、景虎が八方の者どもへ愛想を振りまくが如(ごと)き与力をいたすならば、この身はわが政を望む者たちだけにしか与力をいたさぬ。ただ相手に勝ちたいだけの戦いを望む者は、いたずらに乱世を掻き回す餓鬼の大将にすぎず、何よりもさような戦を起こすことこそが、天の与えた多くの命に対する冒涜(ぼうとく)ではないか。悪鬼の如く争乱を弄ぶ者は、天に唾する者であり、さような者がいくら毘沙門天王の化身だとうそぶいたとて、天は佑(たす)けを与えてくれぬ。つまり、後の政を見据えぬ合戦に得意げになって出張ることこそが、景虎の弱点だ。こたびの策は、それを越後の者どもに対しても露わにしてやることであった」
晴信は腰元に差していた扇を抜き、己の掌にぴしりと打ち付けた。
「肝に……しかと肝に銘じておきまする」
信繁は伏目がちで答える。
「ともあれ、これで残るは高梨政頼だけとなり、信濃一国の制覇も見えてきた。善光寺平の安定を考えるならば、新しく堅固な城が必要かもしれぬな」
遥か彼方を遠望するように、晴信は眼を細める。
こうして三度目の川中島の戦いは終わった。
晴信が景虎の弱点を突き、奔放な戦い方を封じて完勝した。
しかし、この三度目の勝利が大きな禍根となることを、まだ晴信と信繁は知る由もなかった。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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