よみもの・連載

信玄

第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)8

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

 晴信はさっそく塩田城の飯富(おぶ)虎昌(とらまさ)に救援の裁量を与えた。
「はっ! 畏(かしこ)まりましてござりまする。では、すぐにお伝え……」
 一礼した真田信綱を、晴信が引き留める。
「焦るでない、信綱。これから景虎を信濃から追い出す策を聞かせるゆえ、そなたも覚えておくがよい」
「はっ! 承知いたしました」
「宗四郎(むねしろう)、例の地図を広げよ」
 晴信は奥近習(おくきんじゅう)の三枝(さいぐさ)昌貞(まささだ)に命じる。
「はっ!」
 三枝昌貞は信濃、越中(えっちゅう)、越後の地勢が記された地図を広げた。
 信繁と真田信綱がそれに見入る。
「信繁、これから、そなたに城をひとつを落としてもらいたい。その城というのが、ここである」
 晴信は扇の先で地図の一点を指す。
「……こ、これは」
 信繁が驚きながら眼を見開く。
「小谷(おたり)城(平倉〈ひらくら〉城)だ」
 晴信が示したのは、北安曇(きたあずみ)郡小谷村の中土(なかつち)にある平倉山に築かれた山城だった。
 小谷村中土といえば、まさに信濃と越後の国境(くにざかい)近くにあり、松本平(まつもとだいら)から越後の糸魚川(いといがわ)に抜ける千国(ちくに)街道の要衝である。
 千国街道は糸魚川で採れる北塩(きたじお)を信濃の塩尻(しおじり)まで運ぶために使われており、古(いにしえ)より内陸に塩を供給するための重要な経路とされてきた。
 その途上、信濃国境の北端に小谷村と平倉山の小谷城があり、深志城からは約十八里(七十二㌔)の距離にある。
 ――兄上は越後勢の陣の裏口で火を起こそうとしておられるのか!?
 信繁が考えたように、小谷城がある北安曇郡は越後勢が駐留している飯山城と妙高戸隠(みょうこうとがくし)連山を挟んで大きく隔てられている。
 いわば、現状の戦場(いくさば)からは裏側にあたるような場所だった。
「あえて、越後勢の背後を叩(たた)けということにござりまするか?」
 信繁の問いに、晴信が頷く。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

Back number