「……次郎、初陣の心得ならば、父上にお訊ねするがよい。この身が教えられることなど何もない」 「いえ、次郎は兄上のお話が聞きとうござりまする。殿軍にて、城を抜いた話とかを……」 「さようなものは参考にならぬ!」 いきなり声を荒らげた晴信を、次郎は驚いたように見つめる。 「……父上の……父上の言いつけを守り、戦えば、それが最上になる。この身がやったことは、功を焦った邪道の戦い方だ。そなたの初陣にはふさわしくない」 「そんな……」 「済まぬが、忙しいゆえ、これで失礼する」 「……兄上」 次郎は悲しげな面持ちで、足早に去って行く晴信の背中を見ていた。 甘利虎泰は顔をしかめ、黙ってその様子を見守っていた。次郎がどれほど兄を尊敬しているのかを、この漢が一番良く知っていたからである。 ――晴信様があれほど頑なになられるということは、おそらく、次郎様の初陣のことで御屋形様から何か釘を刺されたのであろう。まったく、罪なことをなされる。あれほど仲の良い兄弟であったのに……。 甘利虎泰は気を取り直し、次郎を信虎の寝所へ導く。 一方、晴信は屋敷へ戻る途上で、深い自己嫌悪に苛(さいな)まれていた。 ――次郎が昔と変わらず、気さくに話しかけてくれたのに、なんで突き放すような物言いしかできなかったのであろう……。 そんな思いを抱き、己に嫌気がさす。 ――なんと、器量の小さき兄なのだ。次郎にそう思われても仕方がない。されど、あの翳(かげ)りなき笑顔を見ていると、自然とこちらが卑屈になってしまう。たぶん、嫉妬なのだ。父上もそういう性根を嫌っておられるのだろう。 晴信は惨めな思いを嚙みしめながら一人で歩き続けた。 要害山(ようがいやま)へでも登りたかったが、轡(くつわ)を並べてくれる信方もいない。言い様のない孤独を感じながら、今はただ耐えるしかなかった。 信虎が言ったとおり、佐久での戦いは一息ついたが、信方は平賀城代として前線を守っているため、新府へは戻ってこられなかった。 その間も荻原昌勝の後釜を争う家中の暗闘だけが激しくなっていく。 そして、年末になり、やっと動きがあった。 信方が佐久から戻り、御前評定が開かれた。 大上座で満面の笑みを浮かべ、信虎が高らかに宣言する。 「来春、次郎の初陣を行うことに決めた。相手は、海野平の滋野一統だ」 その言葉に、一同がどよめく。 「そして、ついに北信濃の村上義清が余に頭(こうべ)を垂れ、一緒に戦いたいと尻尾を振ってきたぞ。海野平から滋野一統を一掃し、領地を分け合いたいので与力を願いたいとな。そういうことならば、乗ってやらぬでもない。まあ、義清もやっと余の力を計り知ったということだ。はっははは……」 信虎はさも愉快そうに声を上げて笑う。 一同も追従笑いを浮かべる。