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連載
「新 戦国太平記 信玄」
第一章 初陣立志5 海道龍一朗 Ryuichiro Kaitou

 氏輝は生まれつき病弱ではあったものの、弟の彦五郎と同日に突然死去するのは、いかにも不自然であり、重臣の間では毒殺の可能性などの疑いが囁(ささや)かれていた。
「さように恐ろしいことが……」
 義元が青ざめながら呟く。
「まことに恐ろしいのは、北条家の思惑にござりまする。北条氏綱殿の婿養子となった綱成(つなしげ)殿は元々、福島家の血脈に通じており、もしかすると北条家は恵探殿と福島家に加勢するやもしれませぬ。さようなことになれば、只事では済みませぬ」
「……戦(いくさ)となるやもしれぬ、と?」
 義元は上目遣いで雪斎の表情を窺(うかが)う。
「福島家が大御台様の御意向を汲み入れねば、そこから手切となりまする。つまり、戦が始まるのは必定。されど、それを恐れてはなりませぬ。義元様は泰然自若として事に向き合い、家臣たちに動揺を見せてはいけませぬ」
 雪斎は眉ひとつ動かさずに言った。
「……されど、拙僧は戦などしたことが」
「拙僧では、ありませぬ!」
 師の一喝に、義元は思わず首を竦(すく)める。 
「……余はこれまで戦など見たことさえないゆえ、動揺するなと言われても無理にござりまする」
「その恐れを乗り越えるのが、惣領の器量というもの。誰でも初陣を迎えるまでは、戦など見たことさえもありませぬ。とにかく、何が起こっても、家臣たちが驚くほどに無表情でいればよいのでござりまする。己の感情を殺す手立てならば、山門の修行で厭(いや)というほど学んだではありませぬか」
「なるほど!」
 義元は思わず膝を打つ。
「己の感情を殺してしまえば、恐れを感じることはない。仏に逢(お)うては仏を殺し、羅漢に逢うては羅漢を殺し、祖に逢うては祖を殺し、己に遭えば己を殺せ。その要領にござりまするか」
 祖師である臨済義玄(ぎげん)の教えを口にした義元に、雪斎は微笑しながら頷(うなず)く。
「さようにござりまする。修行の成果は、いかなる処においても活殺自在。それに加え、この身に対し、もはや敬語はいりませぬ。御師と呼んでもいけませぬ。すでに雪斎は義元様の家臣ゆえ」
「急にさようなことを言われても……」
「いいえ、家臣として扱わねばなりませぬ」
「……わかった。もう、敬語は使わぬ。されど、そなたを何と呼べばいいのか?」
「雪斎と呼び捨てにしてくださりませ」
「せっさい」
 そう呟き、義元は剃頭を搔く。
「……やはり、急には慣れぬ」
「髷が結える頃には、何の不自然さもなくなりまする」
「……そういうものであろうか?」
「そういうものにござりまする。さて、では、福島家が出しそうな結論を出来うる限り考え、それに対する策を練りましょう。御台様がお戻りになるまでに済ませておかねばなりませぬ」
 太原雪斎は義元を相手に今後の予測を語り始める。



 
〈プロフィール〉
海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう)
1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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