氏輝は生まれつき病弱ではあったものの、弟の彦五郎と同日に突然死去するのは、いかにも不自然であり、重臣の間では毒殺の可能性などの疑いが囁(ささや)かれていた。 「さように恐ろしいことが……」 義元が青ざめながら呟く。 「まことに恐ろしいのは、北条家の思惑にござりまする。北条氏綱殿の婿養子となった綱成(つなしげ)殿は元々、福島家の血脈に通じており、もしかすると北条家は恵探殿と福島家に加勢するやもしれませぬ。さようなことになれば、只事では済みませぬ」 「……戦(いくさ)となるやもしれぬ、と?」 義元は上目遣いで雪斎の表情を窺(うかが)う。 「福島家が大御台様の御意向を汲み入れねば、そこから手切となりまする。つまり、戦が始まるのは必定。されど、それを恐れてはなりませぬ。義元様は泰然自若として事に向き合い、家臣たちに動揺を見せてはいけませぬ」 雪斎は眉ひとつ動かさずに言った。 「……されど、拙僧は戦などしたことが」 「拙僧では、ありませぬ!」 師の一喝に、義元は思わず首を竦(すく)める。 「……余はこれまで戦など見たことさえないゆえ、動揺するなと言われても無理にござりまする」 「その恐れを乗り越えるのが、惣領の器量というもの。誰でも初陣を迎えるまでは、戦など見たことさえもありませぬ。とにかく、何が起こっても、家臣たちが驚くほどに無表情でいればよいのでござりまする。己の感情を殺す手立てならば、山門の修行で厭(いや)というほど学んだではありませぬか」 「なるほど!」 義元は思わず膝を打つ。 「己の感情を殺してしまえば、恐れを感じることはない。仏に逢(お)うては仏を殺し、羅漢に逢うては羅漢を殺し、祖に逢うては祖を殺し、己に遭えば己を殺せ。その要領にござりまするか」 祖師である臨済義玄(ぎげん)の教えを口にした義元に、雪斎は微笑しながら頷(うなず)く。 「さようにござりまする。修行の成果は、いかなる処においても活殺自在。それに加え、この身に対し、もはや敬語はいりませぬ。御師と呼んでもいけませぬ。すでに雪斎は義元様の家臣ゆえ」 「急にさようなことを言われても……」 「いいえ、家臣として扱わねばなりませぬ」 「……わかった。もう、敬語は使わぬ。されど、そなたを何と呼べばいいのか?」 「雪斎と呼び捨てにしてくださりませ」 「せっさい」 そう呟き、義元は剃頭を搔く。 「……やはり、急には慣れぬ」 「髷が結える頃には、何の不自然さもなくなりまする」 「……そういうものであろうか?」 「そういうものにござりまする。さて、では、福島家が出しそうな結論を出来うる限り考え、それに対する策を練りましょう。御台様がお戻りになるまでに済ませておかねばなりませぬ」 太原雪斎は義元を相手に今後の予測を語り始める。