連載
「新 戦国太平記 信玄」
第一章 初陣立志5 海道龍一朗 Ryuichiro Kaitou

「若、実は御屋形様から直々の御下命がありまして、少しの間、新府を離れなければなりませぬ。しばしの暇をお願いに上がりました」
「どこへ行くのだ、板垣?」
 晴信は驚いた顔で訊く。
「ええ、その……南巨摩(みなみこま)の辺りにござりまする」
 信方はそらを向きながら言葉を濁す。
「ならば、今川家の内訌に関係することではないのか?」
 晴信の勘は鋭かった。
「ええ、まあ、そのような……」
「いま駿府では今川氏輝殿の跡目を巡って家中が二つに割れ、三男の玄広(げんこう)恵探(えたん)殿と五男の栴岳(せんがく)承芳(しょうほう)殿が争っていると聞く。京の公方様は承芳殿を後継者と認め、偏諱を授けて今川義元殿と名乗っているという。どうも、その義元殿の側が優勢らしいが、だいぶ激しい戦になっているようだな」
「若、なにゆえ、さように詳しく事情を御存知なので?」
「昨日、講義の後で御老師から教えられた。最も眼を離せぬ隣国のことであるから、当然のことではないか」
「さようにござりまするが……」
「もしかして、板垣。内訌の奇禍(きか)が甲斐へ及ばぬよう、駿河との国境に兵を出せと父上に命じられたのではないか?」
 的を射た晴信の問いに、思わず信方は黙り込む。
 それでも、嘘を言うわけにはいかなかった。
「……そのような次第にござりまする」
「ならば、行先は昨年、戦となった万沢ではないのか?」
「お察しの通りにござりまする」
「それならば……この身も出陣する」
 晴信は思い詰めた顔で言う。
「父上にお願いし、初陣としていただく。元服を済ませた身で、武田の危機に指を銜(くわ)えておるわけにはいかぬ。そなたが出陣するのであれば、尚更のことだ」
「いいえ、それはいけませぬ。若の初陣は、もう少し筋の良い戦でなければなりませぬ」
 信方が制止する。
「筋の良い戦?……こたびは、さほどに難儀な役目ということなのか」
「いや、それは……。前にも岐秀禅師が囲碁のことで申されていたように、戦いには筋の良いものと筋悪のものがありまする。今川家の内訌に関わるなど、それだけで決して筋が良いとはいえませぬ。こたびはそれがしにお任せくださりませ」
「そなたがそれほど頑なに拒むならば、余程の事情があるのだな。この身に何か隠しておらぬか」
「何を申されまするか。それがしは若に隠し事などいたしませぬ」
「いや、そなたの鼻の穴が開いておる。何かをごまかそうとする時、だいたい、そなたはいつもより鼻の穴が開くのだ。自分では見えぬから、わからないであろうが、この身にはよくわかっておる。板垣、いったい何を隠しているのだ?」
 晴信は真っ直ぐに傅役の両眼を見つめる。
「……隠しては、おりませぬ。されど、こたびはまことに筋の悪い出兵にござりまする。それがしは若に出張ってもらいたくありませぬ」
「ならば、訳を教えてくれ。二人の間で隠し事はしないと約束したではないか」
「……わかりました。お話しいたしますゆえ、隠し事を疑うのはお止めくださりませ」
 信方は仕方なく役目の内容を話し始める。
 ほぼ全容を晴信に伝えたが、最後の汚れ仕事についてだけは伏せておいた。とても話をする気になれなかったからである。
「さような訳で、岐秀禅師を訪ね、事情を伺わねばなりませぬ」
「わかった。ならば、それがしも一緒に行こう」
「若ぁ……」
「今川家が代替わりするのだ。内情を掴んでおくことが必要ではないか」
「わかりました。では、一緒にまいりましょう」
 信方は渋面で頷く。
 そして、二人は岐秀元伯に話を聞くため、長禅寺へ向かった。



         10 11 12
 
〈プロフィール〉
海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう)
1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
Back number
第二章 敢為果断(かんいかだん)
第一章 初陣立志16
第一章 初陣立志15
第一章 初陣立志14
第一章 初陣立志13
第一章 初陣立志12
第一章 初陣立志11
第一章 初陣立志10
第一章 初陣立志9
第一章 初陣立志8
第一章 初陣立志7
第一章 初陣立志6
第一章 初陣立志5
第一章 初陣立志4
第一章 初陣立志3
第一章 初陣立志2
第一章 初陣立志